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2005.04.28

『ファンタジー万華鏡 (カレイドスコープ)』 (井辻朱美)

井辻朱美さんのファンタジー論『ファンタジー万華鏡 (カレイドスコープ)』が研究社より5月下旬に発行予定だとか。
オーソドックスなファンタジーの名作から比較的新しい作品まで言及される模様。
個人的にはダイアナ・ウィン・ジョーンズや十二国記の論考に興味津々ですね。
以前公開講座で伺ったお話と重なる部分もあるようなので発行が待ち遠しいです。

内容詳細(研究社サイト)へ。


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2005.04.11

影のオンブリア(パトリシア・A・マキリップ)

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『影のオンブリア』
パトリシア・A・マキリップ 著、井辻朱美 訳、ハヤカワFT文庫 刊

 オンブリアの裏側に都がそびえている。宮殿を見おろす壮麗な影の都が。影の船団が水上を行く。小さな影の人々が、絵の中の通りを歩いてゆく。未来のオンブリアの支配者はうっすら唇を開いて、わが領土をながめわたした。
「影の都のことを話して。ぼくはそっちも治めるのかな」
 鵞鳥の声はうっとりと、夢見るように物語を紡いだ。「オンブリアの影の都はオンブリアと同じだけ古いのです。ほんとうはつい先ごろまで、オンブリアのそばにあったまったく別の都だとも言われています。そのうちに通りや門や古い家々が、時とともに溶けて、もうひとつの都にまじりあっていったのだと。いいえ、そうではなくても、どちらの都も同じ時代、同じ時期にあって、日々その両方を歩けるのだという話もありますのよ。通りを下っていくと、光を通り、影を通り、また光を通り……ですから、若君、あなたが影の都を治めるのかどうか、誰にわかりましょう。治めていて、治めていない。同じことなのです。影の都を治めていても、それには気づかないのですから」

(上掲書 P11~12より引用)


美しく、豊かで、古い歴史を持つ都、オンブリア。
領国を治めていた大公ロイス・グリーヴの死と同時に宮殿を追われた妾妃リディアは、オンブリアの実権を握る<黒真珠>ドミナ・パールの元に残された幼い世継ぎの君カイエルを案じていた。
そして陰謀と裏切りに満ちた宮殿の中では、オンブリアの実力者の座をめぐって貴族たちが暗躍し、亡大公の甥デュコンも心ならずもその渦中の人となるのだが……。


ひさびさのマキリップの邦訳です。

どんな困難が伴おうとも自分の決めた事を貫く芯が強く美しいヒロイン、普段は知的で物静かなのにその内側には強い思いを持っている男性、いとけないのに聡くて健気な子供、とマキリップの作品ではおなじみの人物像がこの作品でも活躍していて読んでいてとても嬉しく思いました。

オンブリアの実権を決して手放そうとしないドミナ・パールを中心とし、幼くして大公と云う重責を担わされたカイエル、彼を心から愛しく思っているリディア、反ドミナの旗印として貴族たちに目されているデュコン、地下世界に住む女魔法使いフェイと彼女に仕える人形娘マグ。様々な謎や秘密を持った人々がそれぞれの思惑の元で動く陰謀劇としての面白さは勿論ですが、この物語の舞台であるオンブリアがなんと云っても素晴らしいのです。
過去が堆積しているような都。小路から小路、扉から扉を抜けて辿り着く地下世界。秘密の通路や隠し部屋のある迷宮のような宮殿。境界があるようでゆるやかに交わっている光と影。交錯する現実世界と別世界。夢の残像をなぞっているような、時間と空間すら曖昧になるそんな場所。
この物語の真の主役はオンブリアという都そのものだったのではないかと思うほど、印象的で魅力に満ちた場所だと思います。

静かな語り口で秘められた美しさを鮮やかに解きほぐして行く手法にはただただ驚嘆してしまいました。繊細な感触でファンタジーの醍醐味を味える逸品です。過去と現在とが分かち難く絡み合い、複雑で不可思議な模様で織り成されたタペストリのような物語をどうぞ楽しんでみて下さい。

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比類なきジーヴス(P・G・ウッドハウス)

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『比類なきジーヴス』
P・G・ウッドハウス 著、森村たまき 訳、国書刊行会 刊


英国執事を語る際に欠かす事の出来ないP・G・ウッドハウスのジーヴスシリーズの邦訳が刊行されていますね。 一巻目は『比類なきジーヴス』です。英国執事ファンの方は是非とも座右の書になさる事を激しくお薦め致しますよ。 ワタクシなどはこの冒頭部分を書店で立ち読みし、次の瞬間速攻でレジに持って行ってしまったほどでございます。


「おはよう、ジーヴス」
「おはようございます、ご主人様」ジーヴスが答える。
 彼は紅茶のカップをベッドの横のテーブルにそっと置き、僕は目覚めの一口を啜る。完璧である。いつもの通りだ。熱すぎず、甘すぎず、薄すぎず、濃すぎもしない。ミルクの量もちょうどいい。また受け皿に一滴たりとも茶はこぼれていない。実にこのジーヴス、驚嘆すべき男である。ありとあらゆる点でとてつもなく有能なのだ。(中略)
今までに使った執事は皆、僕が眠っているうちにどすどす侵入してきては僕を苦しめたものだ。しかしジーヴスは僕が目覚めるのを一種のテレパシーで感知するらしい。僕がこの世に復活した、きっかり二分後に、彼はカップを手にふわりと部屋に入ってくる。一日の始まりに大きな差がつくというものである。

(上掲書 P5より引用)


しかし、完璧なモーニングティーが淹れられるだけがジーヴスの実力ではございません!
彼が仕える御主人様バーティやその悪友ビンゴがもたらす厄介な(あるいはしょうもない)事件をさくっと解決、さらに女性の扱いも巧みな様子。ああ何と素晴らしき執事なのか! 
こんな有能なジーヴスを独り占めしているバーティには正直嫉妬さえ覚えてしまうのですが、この作品の最後の最後では流石に彼に同情しました。あれはいくらなんでも可哀相なのではあるまいか(笑)。
学校時代の悪友に散々振り回されて損な役ばかり引き受けてしまうバーティーに幸あれかしと願うばかりでございます。彼だってオクスフォード出で詩をばんばん引用できる教養もあるし、日々遊んで暮らせるだけのお金だってある優雅な独身紳士なのにどうしてこんなにおマヌケ様に見えるのかしら。やはり比較対象がジーヴスだからか?
それにしてもジーヴスはメイベル嬢とその後どうなったんでしょう。気になって夜も8時間しか眠れませんよ(笑)。

続刊は6月、10月に発売予定。
ジーヴスの冴え渡る頭脳とバーティーのお間抜け振りに早く再会したいです。

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2005.04.02

デイヴィッド・アーモンド+金原瑞人トークショウ  --デイヴィッド・アーモンドが描く「奇跡」とは--

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池袋ジュンク堂でのトークセッションに行って参りました。
自分の脳内のキャパシティを遙かに超える充実したセッションだったもので、不完全な部分や時系列に沿っていない箇所が多々あるかと思います。御承知置き戴ければ幸い。

メインは作品に関するお話と『火を喰う者たち』の朗読。
アーモンドの作品は彼の子供時代の体験による所が多く、その思い出を色々と語って下さいました。
サッカーに夢中だった少年時代も、ただサッカーをしているだけではなく、大きなスタジアムで有名な選手になってプレイしているつもりになっていたり、大作家になって図書館に自分の本が並んでいる想像をしてみたり(後年、作家になって図書館に自分の本が並んでいるを見た時には少年時代の気持ちに戻って興奮したそうです)とか。
少年時代の自分に助けられて作家になったとの言葉が印象的でした。
作家になってからも様々な作品を書いてきたものの、そのどれもが大成功とは云えなかったそうなのですが、通りを歩いていた際にひらめいた物語が『肩胛骨は翼のなごり』で、この作品を書いている間中自然に言葉が生まれ続け、少年時代と同じような想像力があった事に気付いたそうです。イマジネーションは誰の心の中にもあるものだとも仰有ってました。
現在では確たる地位の作家として認められていますが、初めて書いた小説は出版社に相手にされず、周囲の人たちには作家になる事を諦めるように忠告されたけれど、自分の夢を諦めずに書き続けたからこそ今の自分がある、作家を目指す若い人達も諦める事無く、自分の思いを貫いて欲しいとのアドヴァイスも。
『肩胛骨~』を夢中で書き続けている間、この物語が子供向けの本だと云う事に気付き、作品が認められて児童文学作家として認識された時には解放感を味わったそうです。このエピソードを聞いた時、アーモンドが子供の本を書く事に本当に誇りを持っているのだと感じました。
その後に「物語と云うものは読み手の中で成長するもので、本として完成した後でも形を変えてまた成長していく」(かなりうろ覚えですがこういったニュアンスだったと思う)、とも云っていたのですが、これは彼が子供の為の物語を書く理由のひとつでもあるのかなぁ、とつらつら考えてみたりもしました。
成長していく子供たちに向けて物語を書くという事は、それを読んだ彼らの中でもまた物語が成長していく事になる訳で、柔らかい心の中で成長する物語はどんな色合いを持つのだろう、もしも自分が子供時代にアーモンドの本を読んでいたらどんな感想を持っただろうかとも考えずにはいられませんでした。子供の理解の仕方と大人の理解の仕方はかなり違っていると思いますし、そうであって当然なのですが、最も大切な部分はおそらく年齢を超えて理解できるもので、少なくともアーモンドの作品はそういった力を持っていると思います。

話がかなり反れましたが。
物語が成長する具体的な例として、『肩胛骨~』が舞台化された事が挙げられていました。まず、本として出発した作品が翻訳として成長し、英国で舞台化され、そして今度は日本でも舞台化されるとの事。
12月頃に公開されるそうなので、機会に恵まれれば形を変えた物語の姿を観てみたいです。
脚本は著者自身の手によるもので、以前に戯曲『Wild Girl, Wild Boy』を書いた為、戯曲化自体には戸惑いはなく、特別なプロセスは使っていない、また自分の作品は台詞や状況説明が多いので戯曲にはしやすいのではないか、との事。ただ、戯曲を書く際には舞台をきちんと想定して書いているそうです。

アーモンドの作品の殆どはファンタジーとしての側面を取り上げられる事が多く、私もそういった部分に強く心を惹かれているのですが、著者はファンタジックな部分も現実的に理解できるよう(舞台となる土地を特定化したり、地名を具体的にしたり)リアリティの部分を重要視しているそうで、本を読んで新しい世界を得たいと思っている読者の為にも具体的なイメージを書く事に腐心しているそうです。
特に最新作『火を喰う者たち』では、戦争の危機を描く為に今までの作品よりもリアル色を強めたそうで、現実性が強かった分、幻想的な部分のリアリティも強固になった印象を受けました。祈りがもたらした奇跡(だったかもしれないし、そうでないかもしれないもの)を読み手にきちんと受け入れられるように描けたのは、主人公ボビーたちの地に足がついた生活をしっかりと書き込んでいたからなのだと思います。
そして待望の新作は“clay”と云うタイトルで、英国では11月に出版の予定。
少年が土くれ(粘土)で作ったものが本物になる話で、こちらもリアル色が強くなっているそうです。土くれから生き物を作り出し、最終的には人間を作り、それが動き出す物語にいかに説得力を持たせるか、触感として感じられる作品に仕上げるために苦労したとの創作上のエピソードを語ってくれました。粘土で何かを作る少年と云うと、『ヘヴンアイズ』のウィルソン少年を思い出すのですが、どんな感じの物語になるのか今から楽しみ。
翻訳の予定はまだ立っていないので、河出と東京創元社のどちらになるかはまだ未定(笑)とは金原先生の談でした。なお、河出書房新社からは短篇集『counting stars』(UK版・US版)の翻訳刊行が決定したそうでこちらも楽しみです。

最後に『火を喰う者たち』の52章の朗読。はじめに金原先生が日本語訳を読んで下さって、その後著者自らが朗読して下さいました。英語のヒアリング能力が乏しいもので、手持ちのペーパーバックを目で追いながら聴いていました。彼の文章は朗読にぴったりで英語が不自由ながらも楽しんで聴いていましたが、音になった時にどうなるか考えてから書くとの言には納得。独特のリズムにはこんな秘密があったのか~と感動しました。

質疑応答の後にサイン会があったので、購入した『火を喰う者たち』と『ヘヴンアイズ』に自宅から持ってきたUK版ペーパーバックの『The Fire-Eaters』にサインを戴きました。終った後に握手までして下さったのですが、大きくて柔らかくて温かい手で作品から受ける人柄のイメージそのままでしたよ。こんな素晴らしい時間を得られた事はひとつの奇跡かもしれないな、と思いながら帰宅しました。
この企画に携わった様々な方達に感謝致します。素敵な時間を過ごさせて下さって本当に有難うございました!

デイヴィッド・アーモンドの既刊(翻訳書)は以下の通り。

『肩胛骨は翼のなごり』(山田順子 訳、東京創元社 刊)
『闇の底のシルキー』(山田順子 訳、東京創元社 刊)
『ヘヴンアイズ』(金原瑞人訳、河出書房新社 刊)
『秘密の心臓』(山田順子 訳、東京創元社 刊)
『火を喰う者たち』(金原瑞人訳、河出書房新社 刊)

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火を喰う者たち(デイヴィッド・アーモンド)

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『火を喰う者たち』
デイヴィッド・アーモンド 著、金原瑞人 訳、河出書房新社 刊

「さあ、願って、願って、何度も願うの」エイルサがいった。
 足元の砂に水がひたひたとしみこんでくる。海から吹いてくるひんやりしたそよ風が頬をなでる。灯台の光が回ってくるたびに、閉じたまぶたの裏が明るくなる。ぼくは願って、願って、祈って、祈った。星空のかなたから、ぼくたちふたりを見おろしている神さまを想像しながら。神さまって、いったいどんな格好をしてるんだろう? なんだって、ここを、この石炭の海と砂浜を見てるんだろう? 世界にはほかにもいろいろな場所があるのに。神さまにぼくたちの、このふたりの子どもの声はきこえるんだろうか? 神さまは、ぼくたちの祈りに耳を傾けてくれるだろうか?

(上掲書P135より引用)


1962年の秋。
英国北部の小さな海辺の町に暮らす少年ボビーは母親と出かけた市で火喰い男のマクナルティーと出会う。
忘れ難い印象を残した彼との出会いはやがてボビーの心に大きな影響を与え……。

様々な出来事に心を揺さぶられる少年と戦争で心を病んだ男。そして危機を迎えている世界がアーモンド独特の繊細な筆致で綴られます。
実際に起こった事件(1962年に起こったキューバ危機)を物語の中に取り入れた事により、今までの作品よりも現実性の強いものとなっていますが、アーモンドの魅力である幻想性も勿論忘れられてはいません。現実と幻想のバランスが優れている為、どちらの部分も過不足無く描かれている点が非常に魅力的です。日常生活のささやかな幸せが戦争の蔭に次第に脅かされていく対比も見事。
父親の病気、中学校の教師の残酷で卑劣な行為、米ソの一触即発の緊張感と世界が終ってしまうかもしれないという恐怖。少年を取り巻く世界の不安を描き出しつつ、主人公ボビーがそこでどのように生き、闘ったのかが語られます。アーモンド作品にしては珍しく、世の中の理不尽に立ち向かっていく姿には少し驚きましたけれど、舞台となっている時期を考えると彼なりの闘い方の真っ当さには頭の下がる思いがしますし、ボビーの闘いを受け入れられる父親の懐の深さも素晴らしいです。
そして終末を予感したボビーが世界のすべてに寄せる深い思いと切なる願いは宗教と云う枠を超え、大きな愛情として胸に響いてきます。心の奥深い部分で共鳴し合うボビーの祈りとマクナルティーの炎が呼び起こした奇跡の行方は読者の解釈に委ねられているように感じますが、読者に物語を手渡すかのように委ねてくれる著者も凄いですね。
アーモンドの書いたこれまでの作品を完成された小宇宙とするならば、この『火を喰う者たち』はさらに大きな世界に向けて開かれた物語だと思います。見逃してしまいがちなささやかな出来事をすくいあげてその素晴らしさを教えてくれる作家だと勝手に思っていたのですが、ささやかなことから大きなことまで深い理解と共に示してくれる作家だったのだな、と認識を新たにしました。
彼の想像力の向かう先はどこまで大きく深く広がっていくのかと思うと、今から次回作が待ちきれない気分になります。

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