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2005.06.28

ポーの話 (いしいしんじ)

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『ポーの話』
いしいしんじ 著、新潮社 刊


「そらは、でかいはしなのです」
 人形のおだやかな声が耳の奥にひびく。
「みずやくうき、たいようやほしのひかり。そのほか、ふつうの目にみえないもの、たくさんわたっていきます。目にみえないばしょへもつながっている。おれたちのいるところ、ポーにみえてるより、よっぽどおおきい。よっぽどふかいです。ポー、わかりますか」

(同書 P299より引用)


いしいしんじさんの久々の長篇。
今迄の作品よりも視点が随分大きいなぁというのが率直な感想でしょうか。
『麦踏みクーツェ』を読むと自分が踏みしめている大地が、『プラネタリウムのふたご』を読むと見上げる夜空がいとおしくなるような気持ちになりましたが、『ポーの話』は生き物すべてを包括する世界を描いている分、読み手の視点も俯瞰的になるように感じます。私は引用部分を読んだ時にようやくこの物語の大きさが胸に響いてきました。
そして何よりも「水」についての物語であったかなと。
世界をめぐり命の中をめぐる水の変奏が様々な場面で言及されていたのが印象的でした。
水が形を変えてどこまでも旅をして行くように、ポーも色々な場所を旅して行きます。
辿り着いた場所で彼は「橋をかける」のですが、この辺りのイメージの広がり具合がまた凄いですね。
一見ばらばらに思える人々や土地がポーの存在によって鮮やかに繋がって行くのも、彼が架け渡した橋があったからこそだったのかと思ってみたり。

水と命と人の営みを眺める事によって、世界のぐるりを見渡したような気分になりました。
足下がおぼつかなくて不安なような、それでいてひとりではなく何かに守られているような不思議な読後感の物語でした。

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2005.06.25

シェイクスピアの密使(ゲアリー・ブラックウッド)

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『シェイクスピアの密使』
ゲアリー・ブラックウッド 著、安達まみ 訳、白水社 刊


 去っていくぼくに、ラ・ヴァアザンは声をかけた。「ほんとうは、人間は運命の道化じゃないんだよ」
「ちがうの? じゃあ、なんなの?」
「運命の道具さ。運命の女神に対抗してもだめだって思うだろ? 運命の女神は人間がなにをしても思いどおりにしちまうって。でも、わからなかい? 人間が運命の女神をだまそうとしたり、変えようとしたりしてがんばるから、ものごとがおこるべき形でおきるんだよ」

(同書 P326より引用)


1602年、ロンドンの冬。
宮内大臣一座の少年俳優ウィッジは15歳になり、変声期を迎えつつある自分に不安を抱いていたが、女性の役で舞台に立ち、シェイクスピアの口述筆記や裏方作業をこなしながら役者の徒弟仕事に励む日々を過ごしていた。
ある日、ストラトフォードからシェイクスピアの次女ジューディスが父を訪ねてやって来る。ウィッジは彼女に恋心を抱き、芝居の稽古にも身が入らない。加えて、彼女の関心を得ようするあまり芝居を書いていると云う嘘までついてしまう。ウィッジの窮状を知ったシェイクスピアは書きかけの芝居を譲り、ウィッジは何とかこの作品を完成させようとする……。


このシリーズの魅力は舞台の裏側を少年の視点から活き活きと描いてみせる所にあると思います。今回はウィッジが創作の苦しみと悦びを知るあたりを楽しんで読みました。この時代の劇場の内情も詳しく語られているのも興味深いです。
エリザベス女王の治世の終わりから新王ジェイムズの即位、カトリックに対する迫害、ペストの流行など、時代背景も巧みに織り込みながら歯切れ良く語られておりますね。これは訳の読みやすさの力も大きいかな。わかりやすく読みやすい訳ってなかなかありませんけれど、安達まみさんの訳は両方を備えていると感じました。
たくさんの情報を盛り込みながら読みやすいって云うのは凄いんですが、登場人物達の心情に関しては結構淡白な気がして、その点ではちょっと物足りないようにも思えます。著者は心情の描写にはあまり重点を置いていないのかな。ウィッジの翻弄されっぷりはなかなかのものでしたけど(笑)。テティにも「大人になるまでまっててほしい」なんて云われちゃうし、実は結構もてるんじゃないのか、ウィッジ?
「いったでしょ。ウィッジはあたしを待ってなくちゃいけないの。できるだけ早く大きくなるから」(P202)って台詞はもう可愛くってなぁ! 年上の男の子にこましゃっくれた口を利く女の子って良いわ~とうっとりでした。いっそ本当にくっついて欲しいくらいですよ(笑)。

さて、作中でシェイクスピアがウィッジに譲った芝居は『アテネのタイモン』という作品。シェイクスピアと他の劇作家の共作なのだそうで、その点を上手く使って物語に取り入れています。もっとも、実際の年代とは合致していないそうですが、ま、そこは創作上の演出だから固い事を云うのは無粋と云うものでしょう。
この作品を読んで興味を引かれたので機会を見つけて読んでみたいと思っています。

実際の舞台さながら、退場する登場人物もいれば戻ってくる人物もいます。
今回嬉しかったのはやはりフランスに行ったジュリアの再登場ですね。彼女の秘密に関しては正直どうなのかな~と肯定しがたい部分もあったのですが、続巻でそれが生かされてくれば良いな。
ジェイムズ王が即位したって事でこのシリーズ内で『マクベス』が言及される事もあるかも?とその点でも続きが楽しみです。
勿論ウィッジの成長にも期待してますよ~。

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2005.06.19

ジーヴズの事件簿 (P・G・ウッドハウス)

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『ジーヴズの事件簿』
P・G・ウッドハウス 著、岩永正勝・小山太一 訳、文藝春秋 刊


ウースター様がここまで物事に執着なさるのは、めったにないことです。私がずばり不承知と申し上げた藤色の靴下をどうしてもお召しになりたいと言い張られたとき以来ではありませんか。しかし、あの件は私がうまく処理いたしましたし、本件も最後には満足の行く方向に持って行けることには何の不安もありませんでした。ご主人とは馬のようなものであって、調教が肝心なのです。紳士に仕える紳士のうちにも、調教のこつを心得ているものもおれば、いないものもおります。幸いなことに、私はこの点ではなんら不足するものはありません。

(同書 P324 「バーティ君の変心」より引用)


『比類なきジーヴス』と重複しているのは第二話から九話まで。読み比べてみるのも興味深いかと。
個人的な印象は文春版の方がくだけた語り口で読みやすいように思いますが、バーティに対する愛情は国書刊行会版の方が上かな?とも感じます。森村訳の方が可愛気のあるアホっぽいんだよね(※褒めてます)。
「ジーヴズの初仕事」、「バーティ君の変心」、「ジーヴズと白鳥の湖」、「ジーヴズと降誕祭気分」は今のところ国書刊行会版とはだぶっておりません。
そしてジーヴズシリーズの原型と云える「ガッシー救出作戦」も入っているのでお買い得ですよ~。


今回の収録作品中で一番印象に残っているのはジーヴズ自身が語り手となる「バーティ君の変心」。バーティの唐突な決意にまつわる事件の顛末とジーヴズの絶妙な手腕を描いております。
藤色の靴下ってのは「ジーヴズと駆け出し俳優」でのあの靴下の事か。意外と執念深いのねジーヴズってば(笑)。自分の選んだものでないと主人には身につけさせたくない、そんな切ない男心が切実に伝わってきますわ~。しっかし、蔭でバカ呼ばわりしてる(※「ジーヴズとグロソップ一家」参照)かと思えば、今度は馬扱いですか馬!
ジーヴズがバーティをアホ呼ばわりするのは愛情の発露なんでしょうけど、馬はいくらなんでも酷いんじゃ……。
ま、ジーヴズ自身の口からのお惚気は愉快極まりないのですけども。以下はお惚気の数々でございます。


知性的には取るに足らないウースター様ですが、ウースターというお名前の響きは無限の可能性を秘めています。(P328)
ウースター様は、ただひとつを除くすべての好ましい資質を備えたお若い方です。もっとも、そのひとつとは頭脳のことではありません。(中略)非常事態に遭遇なさると、ウースター様はすぐに気弱な笑みを浮かべて目の玉を飛び出させてしまわれます。貫禄といったものが皆無なのです。(P334)
あの方のお顔は、外から読めないような謎めいたものではありません。逆に、ちょっとした心の揺れも刻々と分かる、澄み切った水のようなお顔なのです。(P338)


どうですよ、この愛されっぷり!
いいなぁ、バーティーはジーヴズに熱愛(←?)されてて。心底羨ましいですわ(溜息)。
ちょっとどころでなくかなりジェラシーを感じます(笑)。

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2005.06.11

薔薇密室 (皆川博子)

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『薔薇密室』
皆川博子 著、講談社 刊

第一次大戦下のドイツ。
製パン中隊の一員であるコンラートはロシア軍のシュレージェン侵攻により前線へ移動させられる。彼はそこで若く美しい青年士官と出会うのだが、士官は銃弾を受けて倒れてしまう。重傷を負った士官を抱え、馬で戦場を離れたコンラートはラオレンツ・ホフマン博士の僧院へ迷い込み、その聖堂の廃墟で驚くべき光景を目にするのだった……。


1939年、ポーランド。
医師の娘として生まれ、学者を夢見る少女ミルカはワルシャワ総攻撃の際にユーリクと名乗る少年と知り合う。闇物資の調達で生計を立てる彼との交際を母親は喜ばなかったが、ふたりは次第に親しくなっていく。
そんな中、ミルカを庇って警察官に逆らったユーリクは当局に連行され、行方不明となる。悲しみに沈むミルカは更に両親の逮捕に直面し……。


 廃園の薔薇たちは、すべて色を失っていた。あたりの遠近もさだかならず、キネマトグラフィの画面のなかに彷徨いこんだようであった。
 廃墟は楽の音にみたされていた。月は、かくも霊妙な楽をかなでるものであるか。それとも歌っているのは、病んだ、末枯れた、薔薇たちか。この世の楽器には奏でられない、それは天上からの雫とも地底からの響きともつかぬ、耳をとおしてではなく全身に直接しみ込む楽音であった。清冽であり暗鬱であり、悲哀と昂揚を同時に感じさせ、私は突然悟った。これは死の中で生きるものたちの音楽(ムズィーク)、夜の中に溶けた光であると。

(同書 P37~38より引用)

『死の泉』でも独自の美意識に貫かれた文章を堪能しましたが、この作品も凄いですね。
引用箇所はⅠの1にある私=コンラートの述懐によるもの。中井英夫の『薔薇幻視』を思わせるような美文です。日本語とはこんなに豪奢なものだったのかと、字面と文章の美しさに耽溺してしまいました。コンラート自身はかなり倒錯した趣味の持ち主(笑)なので彼に共感は致しかねるのですけれど、この部分は素晴らしいと思います。

第一次大戦時のドイツ、そして第二次大戦下のポーランドからドイツ。
3人の語り手の物語が重なり合い、正気と狂気、正常と異常、現実と幻想が入り混じり、夢(あるいは妄想)と現実の境界そして時間さえも曖昧になり、異形のものたちが立ち現れる世界はもはや著者の独壇場です。美に対する胸苦しくなるような執着は『死の泉』の方が上かな?とも感じましたが、絵面としてはこちらの作品の方が好きかも。時折差し挟まれる「雪の女王」の情景も幻想的な雰囲気を高めていました。
様々な謎が散りばめられた物語なのですが、ミステリとして読むと肩すかし感を味わうかもしれません。個人的にはドイツ第三帝国の歴史と狂気を下敷きにした幻想小説として楽しみました。読み手の感性によって様々な解釈を与えてくれる物語であるかとも思います。

美しく毒を持つ濃密な物語世界を味わいたい方は是非とも御一読を。

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