ヒヤシンス・ブルーの少女 (スーザン・ヴリーランド)
『ヒヤシンス・ブルーの少女』
スーザン・ヴリーランド 著、長澤きよみ 訳、早川書房 刊
「本物のフェルメールの絵であってもなくても、すばらしい絵だよ」
すばらしい絵、すばらしい絵。それでは十分でない。この町にはすばらしい絵は何百枚もある。これはフェルメールの絵なのだ。リチャードの言葉がそれに相当するものでなければ満足できない。コルネリアスはこれまでの自分の生き方が正しかったと思える理由を見つけなければならない。この絵が贋作だとしたら、彼がこれまで耐えてきた悪夢から目覚めることができるかもしれない。だが、悪夢を見て泣く子が、目覚めたあともまだその夢にとりつかれているように、彼もこの夢にとりつかれていた。それを手離すことができなかった。
(同書 P30より引用)
アメリカのある街に住む数学教師コルネリウス・エンゲルブレヒトは、あるきっかけからさほど親しくもなかった同僚の美術教師リチャードを自宅に招き、父から受け継いだ一枚の絵を見せる。窓辺に座る少女を描いたその絵をコルネリウスはフェルメールの真作だと主張するのだが、リチャードはそれを信じようとはしない。
彼の所有する絵は贋作なのか真作なのか。真作であるとするならば、美術界を驚愕させるような作品が何故一介の教師の許にあるのか。一枚の絵をめぐる謎はコルネリウスの父が犯した罪と深い関わりを持っていた……。
フェルメールの作品とされる一枚の絵とそれに関わった人物をめぐる、8つの短篇からなる物語。
この本は自分の目でフェルメール作品を見てから読もう!と勝手に決心しておりまして、先日西洋美術館で「窓辺で手紙を読む若い女」を鑑賞したのを機に手に取りました。そのせいもあってか、フェルメールの絵をイメージながら読むのがとても楽しく、コルネリウスが絵に執着する気持ちも少し理解できたような気がします。
ひとつひとつの短篇の完成度が高いのは勿論、現代のアメリカから遡り最後には17世紀のオランダまで辿り着く構成が素晴らしいです。特に「朝の輝き」、「アドリアーン・クイペルズの手記から」、「静かな生活」、「マフダレーナが見ている」の流れで時が巻き戻っていく感覚がとても好みでした。
短篇として一番印象に残ったのは「アドリアーン・クイペルズの手記から」。これは科学を専攻する学生アドリアーンと迷信深い娘アレッタの関係を描いているのですが、クライマックスで彼女が投げかけた呪いとデルフザイルの街を襲う水の描写に異教的な魅力を感じました。以下は少し長くなりますがその部分の引用。(同書 P163~164)
もしアレッタがこの光景を客観的に見る事ができたら、その見事なまでの調和に気づいただろうか? 雨で灰色の空、絞首門、その向こうの濃い灰色の簡素な石造りの役所。彼女の指先から流れ落ちる雨が、その指を引き伸ばし、地面に向かって伸びる液状の灰色の根のように、魔女の手のように見えるのに気づいただろうか?
わたしは彼女の手を、彼女の手だけを見た。どこまでが指で、どこからが雨なのかわからないが、雨は手から流れ落ち続け、ついに彼女の身体が激しくぐいと引っ張られたように揺れた。それをわたしは確かに見たし、これから先も忘れないだろう。彼女の足が激しく踊り、蹴り続けて木靴が飛んでいった。わたしは心の目で彼女の両手は水を撥ね退けたが、次の瞬間には、雨はふたたび彼女の手と動かない足から細い銀色の紐になって流れ落ちていった。
わたしの魂は震えた。
窓に背を向け、赤ん坊に頭を垂れていると、十二回目の鐘が鳴り止んだ。
「神様、祝福をお与えください。わたしたちが別れる前にあなたの平安をお与えください」わたしが小声でいうと、わたしの息で赤ん坊の羽のような毛がなびいた。「神様の御心を理解する力がなくても、わたしたちに平安をお与えください」
閉じた目の奥に、ふたたび彼女が見えた。激しく引っ張られて揺れる体、飛び散る水、激しく動きそれから静まる足。
水と女と異教が合わさり、幻想が現実を押し流してしまうかのようなイメージを感じて非常に好きな場面です。
分量としてはそれほど長くはないのですが、密度が高い充実した一冊だと思います。絵画の持つ永続性とそれぞれの時代に生きる人々の営みを味わってみたい方は是非どうぞ。







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