« June 2005 | Main | August 2005 »

2005.07.27

ヒヤシンス・ブルーの少女 (スーザン・ヴリーランド)

画像クリックでamazonへ


『ヒヤシンス・ブルーの少女』
スーザン・ヴリーランド 著、長澤きよみ 訳、早川書房 刊

「本物のフェルメールの絵であってもなくても、すばらしい絵だよ」
 すばらしい絵、すばらしい絵。それでは十分でない。この町にはすばらしい絵は何百枚もある。これはフェルメールの絵なのだ。リチャードの言葉がそれに相当するものでなければ満足できない。コルネリアスはこれまでの自分の生き方が正しかったと思える理由を見つけなければならない。この絵が贋作だとしたら、彼がこれまで耐えてきた悪夢から目覚めることができるかもしれない。だが、悪夢を見て泣く子が、目覚めたあともまだその夢にとりつかれているように、彼もこの夢にとりつかれていた。それを手離すことができなかった。

(同書 P30より引用)


アメリカのある街に住む数学教師コルネリウス・エンゲルブレヒトは、あるきっかけからさほど親しくもなかった同僚の美術教師リチャードを自宅に招き、父から受け継いだ一枚の絵を見せる。窓辺に座る少女を描いたその絵をコルネリウスはフェルメールの真作だと主張するのだが、リチャードはそれを信じようとはしない。
彼の所有する絵は贋作なのか真作なのか。真作であるとするならば、美術界を驚愕させるような作品が何故一介の教師の許にあるのか。一枚の絵をめぐる謎はコルネリウスの父が犯した罪と深い関わりを持っていた……。


フェルメールの作品とされる一枚の絵とそれに関わった人物をめぐる、8つの短篇からなる物語。
この本は自分の目でフェルメール作品を見てから読もう!と勝手に決心しておりまして、先日西洋美術館で「窓辺で手紙を読む若い女」を鑑賞したのを機に手に取りました。そのせいもあってか、フェルメールの絵をイメージながら読むのがとても楽しく、コルネリウスが絵に執着する気持ちも少し理解できたような気がします。
ひとつひとつの短篇の完成度が高いのは勿論、現代のアメリカから遡り最後には17世紀のオランダまで辿り着く構成が素晴らしいです。特に「朝の輝き」、「アドリアーン・クイペルズの手記から」、「静かな生活」、「マフダレーナが見ている」の流れで時が巻き戻っていく感覚がとても好みでした。
短篇として一番印象に残ったのは「アドリアーン・クイペルズの手記から」。これは科学を専攻する学生アドリアーンと迷信深い娘アレッタの関係を描いているのですが、クライマックスで彼女が投げかけた呪いとデルフザイルの街を襲う水の描写に異教的な魅力を感じました。以下は少し長くなりますがその部分の引用。(同書 P163~164)


 もしアレッタがこの光景を客観的に見る事ができたら、その見事なまでの調和に気づいただろうか? 雨で灰色の空、絞首門、その向こうの濃い灰色の簡素な石造りの役所。彼女の指先から流れ落ちる雨が、その指を引き伸ばし、地面に向かって伸びる液状の灰色の根のように、魔女の手のように見えるのに気づいただろうか?
 わたしは彼女の手を、彼女の手だけを見た。どこまでが指で、どこからが雨なのかわからないが、雨は手から流れ落ち続け、ついに彼女の身体が激しくぐいと引っ張られたように揺れた。それをわたしは確かに見たし、これから先も忘れないだろう。彼女の足が激しく踊り、蹴り続けて木靴が飛んでいった。わたしは心の目で彼女の両手は水を撥ね退けたが、次の瞬間には、雨はふたたび彼女の手と動かない足から細い銀色の紐になって流れ落ちていった。
 わたしの魂は震えた。
 窓に背を向け、赤ん坊に頭を垂れていると、十二回目の鐘が鳴り止んだ。
「神様、祝福をお与えください。わたしたちが別れる前にあなたの平安をお与えください」わたしが小声でいうと、わたしの息で赤ん坊の羽のような毛がなびいた。「神様の御心を理解する力がなくても、わたしたちに平安をお与えください」
 閉じた目の奥に、ふたたび彼女が見えた。激しく引っ張られて揺れる体、飛び散る水、激しく動きそれから静まる足。


水と女と異教が合わさり、幻想が現実を押し流してしまうかのようなイメージを感じて非常に好きな場面です。

分量としてはそれほど長くはないのですが、密度が高い充実した一冊だと思います。絵画の持つ永続性とそれぞれの時代に生きる人々の営みを味わってみたい方は是非どうぞ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.07.23

妖精の騎士 タム・リン (スーザン・クーパー)

画像クリックでamazonへ


『妖精の騎士 タム・リン』
スーザン・クーパー 著、ウォリック・ハットン 画、森丘道 訳、小学館 刊


「おとなしく、おぎょうぎよく待っているんですよ。そうすれば幸せにしてくれる男の人が、結婚を申しこみにやってきますからね。ええ、あなたたちみんなに、ですよ」
 ばあやは、毎日、娘たちにいいきかせました。
「わたしはいやよ」と、マーガレットがいいました。「そんなの、つんでもらえるまで待っている花とおなじだわ。わたしは、自分で好きな花をさがして、自分でつみとるの」

(同書 P3~4より引用)


お城の塔のてっぺんの部屋で貴族の娘たちと一日中刺繍をして過ごす王女マーガレットは、そんな毎日にうんざりして冒険を求めてお城を飛び出します。
彼女は妖精の騎士が現れて呪いをかけるといわれるカーターヘイズの森で薔薇を摘み、美しい若者タム・リンと出会うのですが、彼は妖精の女王に囚われていて妖精の国から出る事ができません。
タム・リンを救おうと決めたマーガレットは、夏至祭りの夜にひとりでマイルズ・クロスの聖なる井戸へと向かいます……。


スコットランドのバラッド「タム・リン」を「闇の戦い」シリーズの著者スーザン・クーパーが再話した作品。短いながらも美しい物語に仕上がっています。
マーガレットの意志強固な所が好きです。無謀と云えば無謀ですけれど自分の大切なものを見失わないだけの分別はあるんですよね。やっぱり女の子が頑張る話は良いなぁ~。
マーガレットとタム・リンが出会う森のシーンはやはり素敵でした(※ここ重要)。

「なぜ、バラをつむのだ、マーガレット。わたしのゆるしもなしに」
「カーターへイズの森はスコットランド王の領地、そしてわたしは王の娘。行きたいところへ行き、したいことをするのに、だれの許しもいらない。むろん、バラをつむことにも」

(P8より引用)

ってふたりのやりとりが良いのですよ。タムから渡されたリンゴをマーガレットが食べる場面も色っぽいですし。挿絵の淡い色彩とあいまって、神秘的な(あるいは官能的な…って深読みのしすぎかな?)雰囲気が高まっていました。
そう云えば物語のクライマックスはよく知られているハロウィーンの晩ではなくて夏至の夜なんですね。そういったヴァージョンもあるのか著者の創作なのかはわかりませんが興味深かったです。個人的には妖精女王の捨て台詞が楽しめなかったのがちょっぴり残念でしたが、それ以外は大変満足でした。
このバラッドにお詳しい方は細部の違いを楽しむも良し、そうでない方はこのバラッドに親しむきっかけになればいいなと思います。ダイアナ・ウィン・ジョーンズの『九年目の魔法』の参考にもなるかも。

同じコンビでの『海と島のマイリ』も面白そうなので機会があれば読んでみたいです。こちらはアザラシ女房の話かな。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.07.09

野獣から美女へ─おとぎ話と語り手の文化史 (マリーナ・ウォーナー)

画像クリックでamazonへ


『野獣から美女へ─おとぎ話と語り手の文化史』
マリーナ・ウォーナー 著、安達まみ 訳、河出書房新社 刊


 宮殿、森、かなたの名もない王国、名前も個性もない登場人物たち、王さまやお妃さま、物語の語り手や読み手の社会的・歴史的環境ではありえないような、美(ビューティー)とか金髪の美女といった名前のお姫さま。こうした伝統的な設定が現実からかけはなれていることこそが、逆説的に現実ととりくむ物語の力を支える。(中略)架空の世界が視覚化されると、わたしたちは現実の世界がよりいっそうはっきりとみえるようになる。典型的なおとぎ話では、とおい昔のできごとは未来をみとおすためにもちいられ、物語の結末のいわゆるハッピー・エンドはかならずしも完全に閉ざされているとはかぎらない。むしろ、未来を約束あるいは予言するのである。

(同書 P12より引用)


博覧強記な著者がおとぎ話と語り手について様々な知識を盛り込んだ物語の文化史。
民話や昔話だけではなく、神話や伝説、歴史や美術からも物語の多義性、多様性、象徴性を鮮やかに読み解き、読者の前に提示してくれる手法が見事です。自分の知識が不足しているにも関わらず、とても面白く読めました。引用部分は著者の前書きにある部分ですが、この前書きだけでもかなり好奇心を刺激されます。この本の内容が集約されていると云っても過言ではないかと。
第一部では語り手に焦点を当て、古代の預言者から炉辺の語り手、知識階級の中での語り手たる女性、ディズニーの映画と様々な時代や場所の物語について言及し、語り手と聞き手の不可分な関係性にも着目しています。
第二部は個々の物語から女性の役割を解読しています。
良く知られ、自分でも知っていたつもりの物語の中の隠された意味を探り、他の物語との共通点や差異を比べるのは興味深い体験でした。物語の中に根ざす象徴の豊かさにも感心。
「シンデレラ」の灰は実の母親の喪の意味合いが隠されているとか、誠実さを示す沈黙の共通項(「リア王」のコーディリア、アンデルセンの人魚姫、鳥に姿を変えられた兄を救う妹の類話などにおける)、「ロバ皮」(あるいはグリムの「千匹皮」)に秘められた近親相姦を聖書のロトと娘たちとオイディプスの悲劇に絡めて語った章では、娘の側からと息子の側からの対比、あるいは意識的か無意識的かの対比を述べつつ、ふたつの物語の基点に同性愛があったとあぶりだしています(ロトと娘たちに関しては有名な「ソドムとゴモラ」、オイディプスに関しては彼の誕生以前に父王ライオスは美少年クリシプスを略奪したというエピソードがあったのだとか)。
個人的には「青ひげ」とバラッド「Lady Isabel and the Elf-Knight」ヴァージョン違いはこんな感じ)の関連性への指摘が面白かったです。青ひげと妖精騎士の共通点は誘惑者で殺人者って所なんだ!とこの本を読んで初めて気がつきました。
「美女と野獣」の系譜についても、原型の「クピドとプシュケ」から始め、女性側からの探索について鮮やかに語っています。このテーマについては以前から興味を持っていまして、一章とは云わず一冊の本として読んでみたいところです。

この本の中でアンジェラ・カーターに関する言及があったので久し振りに『血染めの部屋』を読み返したくなりましたが、この本って現在品切れなんですね。
図書館に行って借りてこよう……。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.07.07

オフィーリア (ジェレミー・トラフォード)

画像クリックでamazonへ

『オフィーリア』
ジェレミー・トラフォード 著、安達まみ 訳、白水社 刊


いなずまが光り、王の蒼白な顔をくっきりと照らし、かなたに雷が低く鳴った。そして、ふしぎなことに兄の遺体から泣き声が発せられていた──せめて奪い取られた命を悼むことだけはできるかのように。だが、遺体は土くれ同然に死んでいるはずだ。クローディアスはその泣き声が自分のなかからわきおこっているらしいのに気づいた。そして自分の口から自分の名前がため息のように発せられていた。自分はこの行為をうとましく思うものの、必要に迫まられ、鋼鉄のごとく超然と、勇敢になしとげ、後悔に気をとられまいとしたはずだった。ところが、いま、自分は行為から距離をたもちつつも抗しがたくひきつけられている。亡くなった王の姿を眺め、これほど近しく思ったのははじめてだった。これほど自分が兄に近しいと思ったことはなかった。なんと残酷で皮肉なことか。
(同書 P240より引用)


シェイクスピアの『ハムレット』が始まる十箇月前から語り起こされた物語。やがて起こる悲劇の前に何が起こっていたのかが丁寧に描かれます。原作の登場人物たちに様々な肉付けがなされ、著者が新たに創造した登場人物も加わって、とても奥行きのある話でした。
原作を読んだだけでは納得が行かなかった彼らの言動もこの小説を読んだ後には素直に受け止められました。
特に、受身で純粋で無垢なイメージが先行しがちな(それはそれで非常に好きなモティーフなのですけれど)オフィーリアを自分の意思を持って行動する女性として描ききった所が見事。
この作品でのオフィーリアは、ハムレットを愛しながらも他の男性にも心惹かれてしまいます。思索に沈みがちなハムレットと率直さを持って行動するスヴェンボーの対比は、時にそれぞれの属性を逆にしながら語られ、このふたりの間で揺れ動くオフィーリアの気持ちを交えて物語を立体的にしています。
ハムレットの造形も父王との関係性を重視することによって、彼の内面の複雑さが浮き彫りにされていたと思います。原作のハムレットよりも共感しやすい人物になっていたかと。オフォーリアとの恋にしても、若者らしい性急さや情熱に満ちていた時期について言及されていたので嬉しかったです。

個人的には倣岸に見えるクローディアスの意外な心弱さを満喫致しました。原作を読んだ印象では、彼が兄に抱いたのは憎しみのみだったのかと思っていましたが、ここで語られたのは愛憎の入り混じった感情。
兄の親友ヘルニングに対する嫉妬、甥ハムレット王子に対する嫉妬。ガートルードへの執着にしても兄に対しての葛藤と無関係ではないのでしょう。この感情が彼の人物造形によりいっそうの深みを増しているように感じました。原作を読んだだけでは気がつかなかったクローディアスの心理に踏み込んでいて素晴らしかったです。この兄弟間の確執についてもっと読んでみたくなる程でした。
ハムレット王、クローディアス、ガートルードの三角関係に関しては、ジョン・アップダイクの『ガートルードとクローディアス』という作品もありまして、永遠の恋人同士(パオロとフランチェスカやトリスタンとイズーをイメージさせるような)のクローディアスとガートルードに対し、ハムレット王はふたりの障害にあたるような印象すら持ちましたが、トラフォードの描く三角関係はそれぞれの愛や苦悩が描かれている分、切なくなる思いでした。

夢、水、植物のイメージが織り込まれている点も、原典を踏襲しているだけでなくさらなる広がりを持たせていたと思います。
小説としても『ハムレット』の読み解きとしても秀逸な作品でした。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.07.05

よしきた、ジーヴス (P・G・ウッドハウス)

画像クリックでamazonへ

『よしきた、ジーヴス』
P・G・ウッドハウス 著、森村たまき 訳、国書刊行会 刊


 彼はいまや立ち上がっていた。手には白い物体を持っている。それを見て僕は、家庭内の危機、ふたりの屈強な男たちの不幸な意志の衝突が再び出来したことを理解したのだった。そしてまたバートラム氏は、戦士であった祖先を思い己が権利のために戦わずば、今まさに打ち挫かれんとしているのである。(中略)
 僕は強硬な姿勢に出ようとした。
「なんだい? ジーヴス」僕は言った。言い方はもの柔らかだったが、僕の目を注意深く観察すれば鋼鉄のひらめきがほの見えたはずだ。ジーヴスの知性を崇拝する点において僕は誰に一歩譲るものではないが、彼を養っているその手に対して命令を下すという彼の性癖には抑制が加えられねばならない。このメスジャケットは僕のハートのごくごく近くに位置するもので、アジャンクールの戦いにおける偉大なるド・ウースター殿の熱情をもって、こいつのために戦ってやる用意が僕にはあるのだ。

(同書 P18~19より引用)


待望の国書刊行会版ジーヴスの2冊目です。

戦士としての祖先を誇りにし、その功績に思いを馳せるのならば、そろそろ君の辞書には「策略」の文字が似合わない事を理解した方がいいんじゃないかバーティ君よ……(遠い目)。
負ける気がしないとか、この勝負貰った!とか、全て自分の目論見通りに事が進むぜとかの台詞はバーティには全く似合いませんが、ここまで見事な負けっ振りを見せて貰えるとは思いませんでしたよ(笑)。
連作短篇に比べるとやや展開に冗長さが感じられますが、バーティがフランスで誂えた金ボタンの白いメスジャケットのネタを引っ張って300ページ程の長篇が成立するのが凄いです(笑)。
いっやぁ、このジャケットが余程気に入らなかったんだねジーヴス。バーティもアホの割には服装に関してはちょいと意固地な所があって決して譲らないものですからふたりの間の緊張感には読んでいるこちらもドキドキですよ!
そして毎度のお約束通りに、このジャケットを巡ってふたりの間には険悪なムードが流れてしまい、バーティは友人たちの恋愛問題やダリア叔母さんがもたらす厄介事をジーヴスの助力無しで片付けなくてはならない羽目に陥ってしまいます。どうするどうなるバーティ! ウースター一族の名にかけてこのトラブルを見事解決できるのかバーティ!(絶対無理)
バーティの友人ガッシー(オーガスタス・フィンク=ノトル氏)とマデライン・バセット嬢、タッピー(ヒルデブランド・グロソップ氏)とアンジェラ・トラヴァース嬢の複雑な恋模様(勿論このもつれにはバーティの手腕があます所無く発揮されてます・笑)、果てはダリア叔母さんの金銭問題、至高の才能を持つフランス人シェフ、アナトールの進退問題まで加わって、さてさてこのもつれにもつれた難問をジーヴスがどのような手腕で解決してくれるのか?と興味津々で読み進めました。
ラストでは毎回バーティを哀れに思ってしまいますが、今回はトラヴァース家の執事セッピングスからある衝撃の事実を知らされるシーンには涙を禁じえなかったですよ……。うわーバーティってば可哀相。いい歳してお風呂でアヒルのおもちゃと戯れていても、許す!許すよ!(←何様か)

前作のアガサ伯母さんも凄かったですが、今回登場するダリア叔母さんもかなり強烈ですね~。バーティを盛大にバカ呼ばわりする豪傑でございますよ。その娘たるアンジェラ嬢の舌鋒の鋭さもなかなかのもの。彼女の台詞にある「イギリス六大バカ」(P190)の中にはバーティが含まれているのかどうかが激しく気になります(笑)。
バーティの周りにいる女性はタイプは違えど皆傑出した女性ばかりなのかしら。
まったく、よく女性不信にならないもんだと感心しておりますよ~。

| | Comments (0) | TrackBack (1)

« June 2005 | Main | August 2005 »