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2005.08.13

アイルランド幻想 (ピーター・トレメイン)

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『アイルランド幻想』
ピーター・トレメイン 著、甲斐萬里江 訳、光文社文庫 刊


「あれが聞こえないのかい。レーイフ? あたしらのご先祖様の声、これから生まれてくる子孫たちの声が聞こえないのかい? あたしらは、この土地を決して手放しゃしないよ。ここであたしらを殺そうと、あたしらの豊かな温かな血が、ここの土地をいっそう豊かにするだけさ。あたしら自身が、この土地の霊魂(こころ)なんだよ。時を超えたものなんだよ。大昔の神さま方が、全能の神ルーや創造主ベルやいつもあたしらの身近にいなさる死と戦の女神モーリグたちが生まれなさったのも、この大地からだった。
 この土地には、数えようもないほど大勢のものたちが、大地や森、泉や小川などの無数の精霊達が、満ち溢れているんだよ。みんなあたしたちの味方なんだ。あたしらを滅ぼそう、ここから追い出そうっていうんなら、神様や精霊たちも全部滅ぼさなきゃなんないんだよ。あんたら、永遠なるものたちを、一体どうやって滅ぼす気なんだい?」

(同書 P124~125 「髪白きもの」 より引用)


アイルランドの民間伝承をふんだんに取り入れた短篇が11編収録されています。
結末は主にホラーなのですが、そこに到るまでは豊かなゲールの雰囲気を味わえるので、ケルト好きの方ならかなり楽しめるでしょう。物語に散りばめられたケルトの神々や妖精など、伝説の人物たちの名前を目にするだけでも堪らないものがありました。怪異譚としても残虐性より幻想性の方が強いかな。不条理ではなく因果が勝っているので読後に厭な感じの恐怖感は残らなかったです。底に流れているのがイングランドからの搾取と云うアイルランドの哀しみなのも、怖さよりやりきれない気持ちを呼び起こされました。引用部分はアイルランドの民の叫びとして特に印象に残った箇所。
実はこの短篇集の著者ピーター・トレメインは著名なケルト学者ピーター・ベレスフォード・エリスの筆名なのだそうで、なるほど作中に見られる知識の確かさはその道の泰斗だけが持ち得るものなのだな、と納得が行きました。勿論知識だけで物語は生み出す事は難しく、ましてや怪異譚は語りが命です。知識と語りの両方があってこそ読んで面白い物語が出来上がるのですから、その点でも著者の力量は見事ですね。
収録作品で気に入ったのは「石柱」、「幻の島ハイ・ブラシル」、「幻影」あたり。
特に「石柱」で主人公の盲目の作曲家だけが古代の石柱に刻まれた顔を感じる事ができるって件りが好き。「幻の島ハイ・ブラシル」は幻想譚としてお気に入り。「幻影」は原書の表題作だけあって、過去と現在と未来が分かち難く結ばれている所がいかにもケルトと云う雰囲気で素晴らしかったです。
訳注も充実していて、これを読むだけでも非常に面白かったのですが、物語中でゲール語表記の部分が太字になっているのは個人的にはちょっといただけなかったです。初めてケルト世界に触れる方にはわかりやすいのかもしれませんが、読んでいて興がそがれてしまったのも事実。語りの滑らかさを邪魔しているようにすら感じてしまいました(何様か)。知識的な読み物なら気にならないし、むしろ嬉しい気遣いにあたりますけれど、物語を楽しむ点では些か問題があるような気が。
気に入った本だったので批判めいた文句も出てしまいましたが、こういった本を出版して下さった事に関しては読者として非常に嬉しいです。
できれば著者のシリーズ物「尼僧フェデルマ」の出版もお願いしたいですなぁ。こちらは7世紀のアイルランドを舞台に若き修道女を主人公にした推理物とのこと。「修道士カドフェル」も出していることですし、光文社さんで翻訳出版して下さらないかしら~と期待しております。

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