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2006.02.11

小鳥はいつ歌をうたう (ドミニク・メナール)

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『小鳥はいつ歌をうたう』
ドミニク・メナール 著、 北代 美和子 訳、河出書房新社 刊


(中略)わたしはうたった。おねむり、愛しい子、おさかなとつぐみはみんな、のうさぎときつねはみんな、森にねんねに帰ったよ、おねむり、いとしい子、むかし、ババ・ラドゥースがわたしにうたってくれた歌、そしてフィニストがアンナの小さな髪の毛のない頭のそばで、袋にとまり、まるでアンナの子守をしているように、まるでほんとうにアンナの子守をしているように、アンナを寝かしつけるためにあれほどたびたびうたった歌、すぐにフィニストもまたうたい始めた。その声は澄んで優しく、ほとんど人間のもののようで、ひとつひとつの言葉は宝石みたいにカットされていた。鳥がこんなふうにうたうのは一度も聞いたことがない。もしわたしが赤ん坊で、まだ世界を知らなかったとき、一羽の鳥の喉から出るこの澄みきった透明な声を聞いたとすれば、もしかしたらわたしもまた、話したいという気持ちすべてを失っていたかもしれない。その舌は青く、ざらざらと固かったけれど、それもまたひとつの宝石、奇妙な指輪、ひとつの貴重な指輪のようなもの。わたしはフィニストを励ますために、とても低い声でうたい続けた。でも、片づけ残した箱のこと、そうじゃなければあした出さなければならない巣の注文のこと、なんでもいい、別のことを考えるように努力した。なぜならば、また目に涙が浮かぶのを感じるのがこわかったからだ。
(同書 P109~110より引用)


おそらく多くの人々は言葉によって社会性を獲得していくのでしょうが、この物語の語り手である「わたし」は読み書きの習得を拒む事によって社会と自分の間に壁を築いています。
彼女の娘であるアンナは耳が不自由な訳でも発声器官に問題がある訳でもないのに言葉を話しません。母親の思いに寄り添うようにして沈黙と言葉以外でのコミュニケーションを選んでいます。
ところがそんな母娘の濃密な関係はアンナが新しい学校に入学し、教師メルランから言葉を学び始めてから次第に変化します。メルランの存在がアンナを救い、彼女の目を外に向けさせて世界を豊かに広げようとしてくれている事は客観的に見れば明白です。しかし、自分と娘の存在の境界を曖昧にし、むしろ同化させようとすら思えるような行動を取る「わたし」にとって、メルランはふたりの関係を破綻に導く脅威となるのです。
その一方で「わたし」はメルランに強く惹かれていくのですが、果たして彼は母娘の敵となるのか、彼女たちを外の世界へ導く案内者となれるのか……と云うのがこの物語の大筋だろうと思います。それはそれで惹かれるものを多く含んでいますが、個人的には、語り手の「わたし」が言葉に対して抱く不信感のようなものが祖父や祖母や父のエピソードを交えつつ描かれている所にとても魅力を感じました。言葉は自分の意思を伝えるものであると同時に、自分を裏切るものにもなり得ると云う事実への恐れ。
幼い頃に受けた精神的な傷やアンナの父親である男との出来事もあって、外の世界と積極的な関わりを持たずに生きてきた「わたし」はかなりエキセントリックな人物で言動もかなり極端ですが、彼女の弱さや脆さを全部受け入れる事はできないかわり、そのすべてを否定する事もできませんでした。
これは自分の中にも言葉に対する恐れと云うか不安感があるからなのかもしれません。彼女の抱いている感情と自分の不安が同種のものだと云うつもりはありませんし、まったく別のものでしょうが、彼女の心情や言動の一部には非常に共感できるものがありました。それでも、言葉の存在にによって救われる事は多々あると思いますけれど。

水面下ではかなり激しい感情が行き来していますが、物語自体はとても静かな美しさを持っています。
鳥たちのぬくもりも物語にやさしい温かさを添えていました。柔らかな語り口で綴られる、母と娘の、そして深い傷を心に持った男女の愛情の物語。
好き嫌いは分かれそうな話ですが、言葉に不安を持ってはいても言葉を信じていきたい方には読んで戴きたい作品です。

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2006.02.10

スカラベ サソリの神3 (キャサリン・フィッシャー)

サソリの神〈3〉スカラベ―最後の戦いと大いなる秘密の力


『スカラベ─最後の戦いと大いなる秘密の力  サソリの神3』
キャサリン・フィッシャー 著、井辻朱美 訳、原書房 刊


 長いこと、盗人と王はお互いを探るように見つめあっていた。やがてアルジェリンがミラニィをインゲルドの腕の中に押しやると、一歩出た。
「おまえはだれだ」
 ジャッカルは腕組みをした。少しあって、澄んだあざけるような声がかえってきた。
「おまえの影だ。神とはすべからく影をもつものではないか」

(同書 P186より引用)


ジャミル皇子を人質にし、北方からの傭兵団を雇い入れ、さらにはアルコンに成り代わろうとする将軍アルジェリンの独裁と蛮行は留まる事を知らず、<二つの国>の国情は乱れていた。
<お告げ所>を脱出し、クレオンの元へ向かおうとするミラニィは面変わりしたセトと再会する。
彼の機転で難を逃れたミラニィだったが、セトの行動に疑惑を持たずにはいられない。
一方、アルジェリンの元へ向かったセトは将軍にある申し出を持ちかけるのだが……。


女神への復讐の為に自らを神となそうとするアルジェリンの狂気、攻め入ってくる皇帝軍に備えて雇った筈の北方傭兵団の反乱、女妖術使いマントの野心と暗躍、欺いたり欺かれたりと陰謀に翻弄される人々。
最終巻にも関わらず物語はどんどん錯綜していき、先の展開の見当もつかないままどんどん読み進めていく事になりました。
そして何よりも凄かったのは、光と影、神と人間、男と女、地上と地下、追う者と追われる者、偉大なものと卑小なもの、そして生と死、対照的でありながら互いに呼応しているものの逆転が描かれていた点でしょうか。

上に引用した、地上世界の王になろうとしているアルジェリンと地下世界の権力者ジャッカルが相対する場面や、ミラニィらが冥界に下った後セトに与えられた役割も逆転のうちに入るかと思いますが、何と云っても一番驚いたのはアルジェリンの変貌でした。
1巻目では野心に溢れる将軍という悪役だった彼がこの巻では大いなる悲劇性を湛えた人物となり、特にハーミアへ心情を吐露する場面から地上への帰還、そして<女王>との約束の流れは神話や伝説そのものと同じ深みを持ち得ていたかと思います。
アルジェリンの存在がここまで大きくなるとは1巻読了の時点では正直予想もしていなかったので、全三巻中で一番印象に残ったのは本書での彼の言動だったかもしれません。矜持の貫き方も最後まで天晴れでした。その辺りはハーミアと通じる所があって、彼らはやはり強い絆で結ばれた運命的な恋人同士であったのかと感じました。
セトは内面さえ詳しく語られなかったら行動はすべて大胆な英雄的行為に見えるんでしょうが、取り繕ったりあがいていたりしていた所が人間的で良かったです。2巻でぐんぐん株が急上昇したジャッカルは最終巻でも活躍してくれました。贔屓キャラだったので嬉しい。

物語の終わりでもあり始まりでもある最終巻の本書では、象徴とそれに伴うイメージの奔流と飛翔感を存分に味わいました。クライマックスの連続のようなスピード感溢れる語りも健在で大満足です。
訳者の井辻朱美さんの熱いあとがきを含めて、ファンタジー作品の醍醐味を充分に堪能できる三部作ですので未読の方は是非!! 強くお薦め致します~。

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