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2006.05.14

安徳天皇漂海記 (宇月原晴明)

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『安徳天皇漂海記』
宇月原晴明 著、中央公論新社 刊

 お歌のごとく、実朝さまは、闇と黒雲に幾重にも隠されたひとつの謎。あの悲しきご最期についてだけでなく、二十八年の決して長くはないご生涯のすべてが、そのまま謎でございました。ご生前から多くの方々が解き明かせぬまま、御前に立ちつくされたものでございます。
 けれど、謎よりほか、いったい何を人は愛おしく思えましょうや。
 それでもなお、将軍家、実朝さまの真のお姿を得心したいと念じられるなら、何よりもまず、そのご生涯をつらぬくただひとつの思いを知らねばなりません。お歌も政事も、その一つの思いが二つの形となったものであった。そう私には思えるのです。
 建暦元年、二十歳におなりになったその年から、実朝さまはもはやご自身のために生きてはおられなかったのでございますから。

(同書 P13より引用)


都を騒がす幻術師、平家の残党と噂される天竺の冠者一党が鎌倉・江ノ島に持ち込んだのは琥珀状の等身の玉であった。蜜色の琥珀に生きながら封じられていたのは壇ノ浦で入水した姿そのままの安徳天皇の玉体。
冠者から帝を託された三代将軍源実朝は夜毎奇怪な夢に悩まされるようになる……。


秘史と云うものに心惹かれます。公に遺された記録の隙間を埋める、もしかしたら起こっていたのかもしれない出来事、うず高く積もっている史実の下に隠されている物語。この作品も歴史と幻想の間に漂う秘められたそんな物語のひとつなのでしょう。

第一部「東海漂泊──源実朝篇」では源氏滅亡の裏で何が起こっていたのかが将軍の近習であった御家人の口から語られます。安徳天皇と将軍との関わりによって、心ならずも大きな事件に巻き込まれることになった語り手が事件のあらましを回想しており、平易な語り口と将軍の和歌、『吾妻鏡』等からの引用がその時代の空気をわかり易く伝え、物語に入り込み易い構成となっていました。
源実朝について個人的に抱いていたイメージは、武門の家柄に生まれたにも関わらず風雅を愛する人物というものでして、将軍でなければもう少し楽な人生を送れたのではないかなどと思っていたのです。和歌に打ち込むのも唐船の建造にしても、彼が描いた見果てぬ夢の結晶だったのだろうかと感じていたのですが、この作品での実朝像は、現実から逃げるのではなく彼以外には出来なかったことを覚悟をもって成し遂げた人物として描かれています。
平家物語での二位の尼君の言葉を踏まえて実朝が安徳天皇にかけた言葉も、多くの血が流れた悲しみを知る立場であるがこそ深い優しさと共感をもって語られたのでしょう。実朝について詳しい訳ではないのですが、史実と架空の出来事の配分が絶妙な為、こんな事が起こっていたからこそ彼は傍から見れば奇妙に写る行動を取ったのかもしれないと思わせられます。史実に偏り過ぎず、幻想に傾き過ぎず、双方に寄り添うような著者のバランス感覚にも驚かされました。実はもっと禍々しい話になるのかと想像していたのですが、陰謀の渦中にあってなお慈しみの心を失わなかった実朝のひととなりに相応しい展開と結末だったと思います。
この第一部は将軍暗殺を経て、語り手が託された大いなる使命を描いていったん閉じられますが、ここで終ってもいいかもしれないと思ってしまうほどで、余韻に浸っていたいあまり、第二部を読み始めるまで少し間をおいてしまったくらいです。

天孫降臨と三種の神器、そして平家と源氏の滅亡という日本史の中の悲劇を描いた前半部分は、続く後半の第二部「南海流離──マルコ・ポーロ篇」に取り込まれます。
日本人から見れば自分の国で起こった歴史上の大きな事件も、大帝国である元の支配者クビライ・カーンの目にして耳となる巡遣使、マルコ・ポーロの口から語られれば真偽の程も定かではない奇譚のひとつとなってしまいます。
ここで凄いと思わされたのは、前半部分の物語の枝葉を取り払うと、どの国でも通じる物語と成り得るのだと気付かされる辺りでした。作中でのマルコの言葉を借りるならば、「海とともに生きてきた小さな都市(まち)の、懐かしくも血なまぐさい不思議の物語」となります。他の国の民話などを読む際に感じた共通性のようなものが自国の物語にもあるのですね。考えてみれば当然のことなのですが、今までそういった見方をしてこなかったので逆の視点を得られたのも新鮮な驚きがありました。
幻想を追い求めるマルコはやがて、ジパングの奇譚と南宋の滅亡に関わることによって、思いもよらず幻想の深みに引き入れられてしまいます。
幻想が現実を次第に侵食し、クライマックスでは幻想が現実を圧倒してしまうくだり、作中で語られていた奇譚のひとつひとつが現実の出来事と共鳴していくあたりはもう見事と云うほかはない迫力がありました。
マルコにとっての港となるカーン、錨となる鄭文海との関係も心憎かったですね。特に、マルコの危うさを案じるクビライが彼に誓いを立てさせるシーンがとても印象に残っています。
言仁と衛王趙昞(*)の二天子、壇ノ浦の合戦と厓山(がいざん)の海戦、杭州の臨安とヴェネツィアとジパング、水蛭子と高丘親王と安徳天皇が重ね合わせられたイメージの鮮やかさ美しさ儚さも素晴らしかったです。
解放と昇華そのものを描き、閉じられながらも開かれた結末は散り行きながら空間も場所も超えて漂う人々の想いの軌跡を伝えていて、彼らを見送る役目はマルコ以外には果たせなかったのだなぁと、読み終えた後に深い満足を得られました。


奇譚物や幻想文学好きには特にお薦めしたい作品です。
さすらう者たちの魂の遍歴の物語を堪能したい方は是非どうぞ。


(*)趙昞(ちょうへい)の「昞」は丙の字の上に日が載っている字が正しいのですが、特殊な漢字なので「昞」に代えています。とりあえずお断りまで。

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