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2006.05.23

ウィルキンズの歯と呪いの魔法 (ダイアナ・ウィン・ジョーンズ)

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『ウィルキンズの歯と呪いの魔法』
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 著、原島文世 訳、早川書房 刊

夏休みまでの4ヶ月間おこずかい差し止めを云い渡されたジェスとフランクの姉弟。自分たちで作った「仕返し有限会社」でお金を稼ごうと思い立ったまでは良かったが、舞い込む依頼はおかしなものばかり。
そのうえ、厭々ながら引き受けた仕事がきっかけで魔女らしき人物と対立する羽目になり……。

ダイアナ・ウィン・ジョーンズの初期作品です。
事件が事件を呼び、登場人物たちを翻弄しながらどんどんごたごたしていく話がラストで収束していく展開は初期の頃から変わらないのですね。個性的な登場人物たちの活躍も堪能できて、短めながらもジョーンズ節が楽しめました。
この作品で一番印象に残ったのは悪意の描き方でした。子供にすら情容赦のないビディの極悪さはちょっと苦味が利き過ぎかなと思いましたが、悪ガキたちの対抗ぶりがなかなか小気味良かったので『マライアおばさん』より後味がいいかもしれません。

話の筋は後の作品ほど込み入っていませんし、訳文もシンプルで読みやすいので、ジョーンズ作品入門としてもお薦めできる作品です。
主人公たちと魔女(?)の対決をはらはらしながら見守ってみて下さい。

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2006.05.14

安徳天皇漂海記 (宇月原晴明)

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『安徳天皇漂海記』
宇月原晴明 著、中央公論新社 刊

 お歌のごとく、実朝さまは、闇と黒雲に幾重にも隠されたひとつの謎。あの悲しきご最期についてだけでなく、二十八年の決して長くはないご生涯のすべてが、そのまま謎でございました。ご生前から多くの方々が解き明かせぬまま、御前に立ちつくされたものでございます。
 けれど、謎よりほか、いったい何を人は愛おしく思えましょうや。
 それでもなお、将軍家、実朝さまの真のお姿を得心したいと念じられるなら、何よりもまず、そのご生涯をつらぬくただひとつの思いを知らねばなりません。お歌も政事も、その一つの思いが二つの形となったものであった。そう私には思えるのです。
 建暦元年、二十歳におなりになったその年から、実朝さまはもはやご自身のために生きてはおられなかったのでございますから。

(同書 P13より引用)


都を騒がす幻術師、平家の残党と噂される天竺の冠者一党が鎌倉・江ノ島に持ち込んだのは琥珀状の等身の玉であった。蜜色の琥珀に生きながら封じられていたのは壇ノ浦で入水した姿そのままの安徳天皇の玉体。
冠者から帝を託された三代将軍源実朝は夜毎奇怪な夢に悩まされるようになる……。


秘史と云うものに心惹かれます。公に遺された記録の隙間を埋める、もしかしたら起こっていたのかもしれない出来事、うず高く積もっている史実の下に隠されている物語。この作品も歴史と幻想の間に漂う秘められたそんな物語のひとつなのでしょう。

第一部「東海漂泊──源実朝篇」では源氏滅亡の裏で何が起こっていたのかが将軍の近習であった御家人の口から語られます。安徳天皇と将軍との関わりによって、心ならずも大きな事件に巻き込まれることになった語り手が事件のあらましを回想しており、平易な語り口と将軍の和歌、『吾妻鏡』等からの引用がその時代の空気をわかり易く伝え、物語に入り込み易い構成となっていました。
源実朝について個人的に抱いていたイメージは、武門の家柄に生まれたにも関わらず風雅を愛する人物というものでして、将軍でなければもう少し楽な人生を送れたのではないかなどと思っていたのです。和歌に打ち込むのも唐船の建造にしても、彼が描いた見果てぬ夢の結晶だったのだろうかと感じていたのですが、この作品での実朝像は、現実から逃げるのではなく彼以外には出来なかったことを覚悟をもって成し遂げた人物として描かれています。
平家物語での二位の尼君の言葉を踏まえて実朝が安徳天皇にかけた言葉も、多くの血が流れた悲しみを知る立場であるがこそ深い優しさと共感をもって語られたのでしょう。実朝について詳しい訳ではないのですが、史実と架空の出来事の配分が絶妙な為、こんな事が起こっていたからこそ彼は傍から見れば奇妙に写る行動を取ったのかもしれないと思わせられます。史実に偏り過ぎず、幻想に傾き過ぎず、双方に寄り添うような著者のバランス感覚にも驚かされました。実はもっと禍々しい話になるのかと想像していたのですが、陰謀の渦中にあってなお慈しみの心を失わなかった実朝のひととなりに相応しい展開と結末だったと思います。
この第一部は将軍暗殺を経て、語り手が託された大いなる使命を描いていったん閉じられますが、ここで終ってもいいかもしれないと思ってしまうほどで、余韻に浸っていたいあまり、第二部を読み始めるまで少し間をおいてしまったくらいです。

天孫降臨と三種の神器、そして平家と源氏の滅亡という日本史の中の悲劇を描いた前半部分は、続く後半の第二部「南海流離──マルコ・ポーロ篇」に取り込まれます。
日本人から見れば自分の国で起こった歴史上の大きな事件も、大帝国である元の支配者クビライ・カーンの目にして耳となる巡遣使、マルコ・ポーロの口から語られれば真偽の程も定かではない奇譚のひとつとなってしまいます。
ここで凄いと思わされたのは、前半部分の物語の枝葉を取り払うと、どの国でも通じる物語と成り得るのだと気付かされる辺りでした。作中でのマルコの言葉を借りるならば、「海とともに生きてきた小さな都市(まち)の、懐かしくも血なまぐさい不思議の物語」となります。他の国の民話などを読む際に感じた共通性のようなものが自国の物語にもあるのですね。考えてみれば当然のことなのですが、今までそういった見方をしてこなかったので逆の視点を得られたのも新鮮な驚きがありました。
幻想を追い求めるマルコはやがて、ジパングの奇譚と南宋の滅亡に関わることによって、思いもよらず幻想の深みに引き入れられてしまいます。
幻想が現実を次第に侵食し、クライマックスでは幻想が現実を圧倒してしまうくだり、作中で語られていた奇譚のひとつひとつが現実の出来事と共鳴していくあたりはもう見事と云うほかはない迫力がありました。
マルコにとっての港となるカーン、錨となる鄭文海との関係も心憎かったですね。特に、マルコの危うさを案じるクビライが彼に誓いを立てさせるシーンがとても印象に残っています。
言仁と衛王趙昞(*)の二天子、壇ノ浦の合戦と厓山(がいざん)の海戦、杭州の臨安とヴェネツィアとジパング、水蛭子と高丘親王と安徳天皇が重ね合わせられたイメージの鮮やかさ美しさ儚さも素晴らしかったです。
解放と昇華そのものを描き、閉じられながらも開かれた結末は散り行きながら空間も場所も超えて漂う人々の想いの軌跡を伝えていて、彼らを見送る役目はマルコ以外には果たせなかったのだなぁと、読み終えた後に深い満足を得られました。


奇譚物や幻想文学好きには特にお薦めしたい作品です。
さすらう者たちの魂の遍歴の物語を堪能したい方は是非どうぞ。


(*)趙昞(ちょうへい)の「昞」は丙の字の上に日が載っている字が正しいのですが、特殊な漢字なので「昞」に代えています。とりあえずお断りまで。

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2006.05.06

蝶 (皆川博子)

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『蝶』
皆川博子 著、文藝春秋 刊


 生き過ぎた、と思う。戦後の虚無の時の長さは、敗戦までの若い年月をはるかに超えた。この年になって、ふと思い出す小説の一節がある。青年ふたりが語り合う場面だ。一人が、床にひろげた新聞を、爪をたてて掻く。爪先がはがれ、新聞紙に血がにじむ。生きた証に、このように、地に爪痕を残したい、とその男は言う。彼と、その同世代の死者生者が残した爪痕は、禍々しい悪の痕跡として、跡形なく塗り潰された。
(同書 P34 「蝶」より引用)


『ジャムの真昼』や『猫舌男爵』(→感想)などの西洋ものを集めた短篇集も素晴らしいのですが、和物をまとめたこちらの短篇集も良かったです。西洋ものよりは多少地味めな感じもありますけれど、その分だけ陰翳に富んでいるように思えます。
作中に引用されている詩に西洋のものがいくつかある為なのか、戦中戦後の日本が舞台となっていてもどこか眩惑的で、人間の生々しさを描いてはいても、根本的な部分では醒めたような視点を保っているような印象でした。
使われている翻訳(堀口大學、西條八十、上田敏)の格調の高さにも負けない美文はもはや著者の独擅場ですね。密度の高い美しい文章は短篇でこそじっくりと楽しめるような気がします。長篇作品だと、読み手である自分の中にどうしても先を急いでしまう気持ちがあって、文章そのものの美しさをゆったりと味わう余裕に欠けてしまうので。


「空の色さえ」
階段が急だからという理由で祖母の家の二階にあがることは禁じられていた。押入れの天井板の隙間から幼い「わたし」が見たものは……。
「空の色さえ陽気です 時は楽しい五月です」のリフレインとマンドリンの音色、祖母の悲しみとうつろわない世界の静かな美しさが心に残りました。

「蝶」
インパール戦線から生還し復員した男は妻とその情夫を拳銃で撃った。出所し、北へ向かった彼は廃屋のような司祭館で特攻帰りの宿なしと共同生活を送るのだが、そんな生活の中に突然映画のロケ隊が闖入してくる……。
荒々しい過去を持つ男たちの虚無的な暮らしと、氷で覆われた北の地の厳しさは同じ激しさを内包しているように思えました。

「艀」
桟橋で出会った奇妙な男がしのぶに与えたのは自分の詩集だった。しのぶは彼の詩を次第に読み覚えるのだったが……。
絶望と死のメタファーに満ちた詩の情景と艀の残骸の映像が重なり合うあたりの闇の濃さにぞくりとしました。

「想ひ出すなよ」
同級生の祥子の家の離れに住むエダ。彼女の蔵書に心惹かれた「わたし」は離れに通いつめるのだが……。
引用されたダンセイニの「巨きな罌粟」の文章が魔術的な効果を醸し出していました。「わたし」が封じてしまったものを知りたいような気もします。

「妙に清らの」
叔父の元に嫁いできた美しい女性。華やかで優しい叔母に懐く幼い「彼」がやがて知ったのは……。
コロラチュソプラノで歌う叔母、横たわる叔父と紫陽花、そしてオルガンを弾きながら歌う「彼」。
ラストの情景が象徴派の絵のようでした。収録作の中で一番好きな作品。

「龍騎兵(ドラゴネール)は近づけり」
夏を過ごす家の隣家の二階には五人の男たちがいた。楽士らの奏でる音楽に誘われるように彼らのいる部屋に入っていった「わたし」は……。
彼岸の存在が間近に感じられる、幻想的ながらも死の香りが色濃い作品。

「幻燈」
奉公先の奥様に気に入られた女中の「わたし」。日に日に親密になるふたりだったが、その生活は唐突に終わりを告げる……。
失ったものへの愛惜と過去への想いが幻燈の映像の儚さに重なっていくように思えます。

「遺し文」
涼太が世話になっている伯父の家に若い女が身を寄せることになった。伯父の恩人の孫であるその女、秋穂は大陸で不幸に遭ったと云うのだが……。
戦争での不幸と死の生々しさが描かれながらも官能的な作品でした。


他の作品のように顕著ではないものの、異形的なものへの著者の鍾愛も感じられる作品集でした。戦争によってもたらされた生と死、此岸と彼岸のあわいの物語を美しい文章と共に味わって見たい方は是非どうぞ。

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