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2006.11.25

シャルビューク夫人の肖像 (ジェフリー・フォード)

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『シャルビューク夫人の肖像』
ジェフリー・フォード 著 田中一江 訳 ランダムハウス講談社 刊


「神話では、死はかならずしも死ぬことではない。多くの場合、それは大きな変化の象徴なんだ。きみは、いま自分がとらわれている肖像画の世界から解放される道を求めているのさ」
(同書 P197より引用)


19世紀末のニューヨーク。
才能ある人気肖像画家ピアンボは両目が白濁した盲目の男に突然声を掛けられる。
ワトキンと名乗った男は主人であるシャルビューク夫人の使いと称し、法外な報酬と引き換えに彼女の肖像を描いてほしいと依頼する。
夫人の家に招かれたピアンボは依頼主から詳しい条件を聴かされるのだが、その条件とは夫人と屏風越しに面会し、声と過去を語る話だけで姿形を想像して肖像画を仕上げなくてはならないという奇妙極まりないものだった。
顔を全く見せない女の肖像をどのようにして描けばよいのかわからないままにピアンボは莫大な報酬と芸術的野心に動かされてその依頼を承諾してしまう。
屏風越しの面会に始めのうちは戸惑っていたものの、ピアンボは彼女が語る生い立ちの不思議さに次第に引き込まれ、謎めいた彼女自身にも興味を抱いていくが、やがて夫人の夫シャルビューク氏に執拗に付け狙われるようになり……。


ごくおおまかに云えば、虚飾の多い肖像画で才能を浪費し続けることに迷いを感じ、裕福な生活と芸術的な向上心との間で揺れ動いているひとりの画家が奇妙な体験を通じて変化していく物語でしょうか。
「ドリアン・グレイの肖像」とある有名な小説(タイトルを挙げると差し支えがあるので伏せますが、ラストのほうまで読めばすぐわかります)を下敷きにしているような印象です。
顔を全く見せない謎の女の肖像を描くという依頼と彼女が語る不思議な話。そこに登場人物たちの様々な挿話が加わって構成されており、真面目と荒唐無稽が入り混じった何とも云い難い味わいを持った作品です。
スフィンクスのような謎かけとシェヘラザードのような語りを操るシャルビューク夫人のイメージはやはりファム・ファタル的なものなのでしょうね。姿を見せないからこそ謎は深まり、その人物への興味はいよいよ増していき、焦がれるように知りたいという気持ちになってしまう。読み手もピアンボと同じようにじらされながらシャルビューク夫人という謎の深みへとはまっていってしまいます。
物語のメインの謎はシャルビューク夫人そのものですが、画家ピアンボは顔も知らない依頼主の肖像を仕上げられるのか、彼を付け狙うシャルビューク氏とその妨害からは逃れられるのか、彼の周りで起きる血の涙を流しながら死に到る奇病の原因は何なのかといった具合に、読者の興味をそそる出来事が散りばめられています。友人のシェンツと共にシャルビューク夫人の素姓を探るあたりはミステリ風でもありますね。
散漫に感じられる部分もないとは云えませんが、実は大筋そのものよりも物語中に差し挟まれるエピソードの方が個人的にはより魅力を感じました。シャルビューク夫人の父親が研究していた結晶言語学、「ある種の汚穢学者」ボーン氏が過去から未来を占う方法、<赤道から来た男>のもたらす怪しげな霊薬などなど、奇妙な物語の中にあるのに相応しいこれまた奇妙な人物たちの様々な言動には興味を惹かれました。
勿論、夫人が語る彼女自身の生い立ちと遍歴や、ピアンボの祖父や父親、師匠のサボットとのやりとりなどメインの登場人物の挿話も魅力的です。一番好きなのは夫人が子供の頃に読んだという、歌手志願の青年ポーが戦場で異形の影に取り憑かれる話の『愉快な仲間』。短いながらも闇と光と雪の結晶のイメージが凝縮されて忘れ難いものがあります。
主人公が画家なので、絵にまつわるエピソードも印象的。サボットの描いた『マンティコアの聖母』や、友人シェンツの描いた絵(ラファエル前派やロマン派を思わせる雰囲気の作品を得意とするようです)はどんな作品なんだろう……と想像をめぐらせてみたり。
19世紀末ってことで、その時代の有名画家の名前がちらほらと出てくるあたりも楽しめました。


とりとめがないような挿話の数々をきっちりと拾って結末に到る手腕はお見事でした。
ラストの「双子」の使い方の美しさと、そのまま一枚の絵になりそうなエピローグの光景が素晴らしかったです。


19世紀末のニューヨークの雰囲気と、幻想文学とミステリとサスペンスとひねりの入ったユーモアが混在しているちょっと変わった美術小説を堪能してみたい方にはお薦めします。


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2006.11.18

剣嵐の大地1 氷と炎の歌3 (ジョージ・R・R・マーティン)

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『剣嵐の大地1 氷と炎の歌3』
ジョージ・R・R・マーティン 著 岡部宏之 訳 早川書房 刊

「あなたは王たちに真実を話すこと決して恐れませんでした。なぜ、自分自身に嘘をいうのですか? 目を開きなさい、騎士さん」
「わたしに何を見せたいのだ?」
「世界が作られるさまを。真理はあなたのまわりに充満しています。見れば、はっきり見えます。夜は暗く、恐怖に満ちており、昼は明るく、希望に満ちています。片方は黒く、片方は白い。氷があり、炎がある。憎悪と愛が。苦渋と甘味が。男と女が。苦痛と快楽が。冬と夏が。悪と善が」彼女はかれに一歩近寄った。「死と生が。いたるところに反対物が。いたるところに戦争が」

(同書 P370より引用)


王都を震撼させたキングズランディングの決戦はジョフリー側の勝利に終わり、加えてティレル家のマージェリーとの婚姻での同盟によりジョフリーの王位とラニスター家の権力は確たるものとなった。ブラックウォーターの戦で瀕死の重傷を負ったティリオンは“王の手”の地位を奪われ、新たにその地位についた父タイウィン公から思いもかけない命を受ける。
一方、戦で数々の勝利を収めた北の王ロブ・スタークだったが、シオン・グレイジョイと鉄諸島人らにより領地ウィンターフェルを急襲され、弟たちブランとリコンを失い、さらには自らの行いで同盟者と多くの兵力を失うことになる。息子たちを襲った悲劇の報せを聞いたケイトリンは捕虜ジェイム・ラニスターに対してある決断を行う……。


1巻目『七王国の玉座』(→感想)、2巻目『王狼たちの戦旗』(→感想)の内容に触れていますので、未読の方は御注意下さい。

三箇月連続刊行の「氷と炎の歌」3巻目、3分冊の1巻目。まだまだ導入部といった感じで序破急で云えば「序」の部分かな。
ただ、このシリーズは起承転結ならぬ起承転転転転転転結で以下次巻といった趣があるので、読んでいてまんべんなくハラハラしてしまいます。別々の章の登場人物たちがすれ違っている点も面白さを際立たせていますね。
強風暴風疾風怒濤だった2巻目ラストを過ぎてこの巻では表面上は静かさを取り戻しておりますが、タイウィン公を始めとする深謀遠慮に長けた人物たちが幅を利かせている為に政治的状況は複雑さを増し、視点を持つ登場人物たちの殆どは非常に困難な立場にあります。波乱の種もあらゆる場所に巧妙に蒔かれている模様です。完結巻である3巻でこれらがどんな花を咲かせるのかが楽しみでもあり怖くもあり。

この巻で特筆すべきことは、新しい視点人物に王殺し(キングスレイヤー)のジェイム・ラニスターに夜警団(ナイツ・ウォッチ)のサムウェルが加わったことでしょうか。
ジェイムに関してはかなり受け入れにくいものであれ彼なりの理や、ある種の誠実さ(主にサーセイに対する)が示されたこともあって、全部とは云い切れないまでも『七王国の玉座』での悪印象が幾分やわらげられ、さらに視点人物となることによって読者としては彼の存在を多少受け入れ易くなっています。このあたりの匙加減も相変わらず見事ですね。
サムウェルの方では異形人との対決の緊張感がひしひしと伝わってきて、これまた見逃せないパートとなっています。2巻3巻でサムウェルがどのような成長を見せるのかにも密かに期待していますがどうなるのか……。
ほぼ一家離散状態になっているスターク家の面々は、ラニスター家の手の内にあるサンサ、逃亡中のアリア、そして政治的に上手く立ちまわれず失策を犯し八方塞がり状態のロブやケイトリン、それぞれが引き続き苛酷な状況に置かれています。著者は登場人物を等しく容赦無い運命の奔流に放り込んでいるのでしょうが、スターク家の人々には思い入れを持ってしまっているので、危難と隣り合わせにある彼らを見守るのはやはり消耗してしまいます。
野生人たちと行動を共にすることとなったジョン・スノウの陥っている状況もかなり気になりますね。彼の行動はどのような結果をもたらすのでしょうか。あれで何事も起こらない訳がないしなぁ……と不安がまたひとつ。
デーナリスのパートの方では七王国上陸に向けての準備が進められつつ、デーナリスとサー・ジョラーの関係にも変化が現れつつあるようで、こちらもますます見逃せない展開になりそうな。
先の合戦では敗北を喫したスタンニス側も、女司祭メリサンドルが何やら陰謀を巡らせているようで、サー・ダヴォスは彼女と手を結ぶことになるのかどうかも気になっております。

と、気になることばかりの展開で読み手に様々な不安を抱かせつつ、食いつきの良いところで以下次巻となっています。
来月の発売が切実に待ち遠しいです。


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2006.11.11

遺す言葉、その他の短篇 (アイリーン・ガン)

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『遺す言葉、その他の短篇』
アイリーン・ガン 著 幹遙子 訳 早川書房 刊


 子供のころ、彼女は読書が好きだった。だが読書はあまりにたくさんの時間を取るし、そのあいだずっとほかの誰かの頭のなかにはいりこんで過ごすことになる。映画やテレビなら、ほかの人たちといっしょに見ることができる。煎じつめるとそういうことだ。いったいどれだけの時間、一人きりで──本だけを友として──いたいのか、ということだ。
 父親のアパートメントでは、彼の暮らしが本とそれが提供するものとにどんなに密接に関わっていたかが見てとれた。それは単に、彼が本を創っていた──ある意味で、本が彼を創っていたともいえるが──というだけのことではなかった。彼という人間は、彼が読んできた本と彼が書いてきた本の総体なのだ。そして今、残されたのは本だけだった。それと、彼女自身と。

(同書 P117より引用)


非常に寡作な作家の短篇集だとのことで興味を持って読んでみました。
他の作家との合作も合わせた12篇が収められています。正直な話、ここに収録されたすべての作品を気に入ったとは云えませんけれど、表題作の「遺す言葉」はとても良かったです。
作家だった男が亡くなり、遺品を整理する為に父親の部屋を訪れた娘は、冷蔵庫や掛け時計やガスこんろ、ハーブの瓶やお茶の缶や茶漉しなど、様々なものに父親が残したメモを見つけます。膨大な蔵書の中にはやはり父親が残した書き込みがあり、それを読むうちに娘は奇妙な出来事に遭遇するという話で、遺品の整理という行為を通じて去っていった者と残された者のある種のコミュニケーションを描くことが主眼なのかなと感じました。
本に残された書き込みを追うことによって娘は自分が知らなかった父親の内面に触れることになり、本=父親(正確にはイコールにはならないのでしょうが便宜上)と娘の間には以前とは違った濃密な関係性が生まれることになります。父と娘の関係修復の物語とも云えるのでしょうね。メッセージの伝達と、隔てられている距離を埋める(飛び越える)役割を担わされている物が「本」であるのは読書好きには堪らないものがあると思います。短いながらも印象的な作品でした。

そのほかの収録作では、現実世界とネットワーク内が半ば混じり合っている世界(ユニークな登場人物たちが出てくるところはちょっとアリスっぽい雰囲気も感じました)での少女の果敢な挑戦を描いた「コンピューター・フレンドリー」、奇妙な世界を舞台にシュールな冒険が繰り広げられる「ライカンと岩」、異種族とのコミュニケーションもの「コンタクト」などが気に入っています。特に「コンタクト」に登場するジラトの社会について(彼女たちの種族が捨てた「都市」や「死の飛行」のことなど)もっと知りたいと思いましたが、詳しく書かれないことで色々想像する余地もあるのでしょうね。
アンディ・ダンカン、パット・マーフィー、マイクル・スワンコックとの合作「緑の炎」は、第二次世界大戦中のアメリカ海軍でアシモフとハインラインが極秘任務「レインボー・プロジェクト」(ニコラ・テスラのコイルを使い、レーダーに戦艦を映らないようにする実験)の際、その実験の失敗によって突拍子もない航海に乗り出す羽目になるSF海洋冒険もの(?)。ケツァルコアトルは出てくるは、死んだ筈のニコラ・テスラは出張ってくるはで結構とんでもない話ですが(笑)、神と呼ばれる存在にすらすべてを明け渡すことをよしとしないアイザックの矜持や、アイザックとプレシオサウルスとの接近遭遇、「雪片たち」がホッパー少尉に向けて螺旋と宙返りでメッセージを伝えようとするシーンは素晴らしかったです。

著者は、根底で常にコミュニケーションの可能性を語りつつ、ヴァラエティに富んだ作風でユニークな物語を紡ぎ出すのがお得意なように思えます。アイディア的な短篇も良いのですけれど、それをもとにした優れた長篇作品を是非とも読んでみたいものです。
巻末の小谷真理さんと巽孝之さんの解説によれば長篇第一作の準備はなされているそうなのですが、出版されるのはいつなのか、それが翻訳されるまでにどのくらいかかるのかは見当もつきません(笑)。
とりあえず気長に待ってみようかと思ってはおりますよ……。


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