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2006.12.05

蜘蛛の巣 (ピーター・トレメイン)

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『蜘蛛の巣』上
ピーター・トレメイン 著 甲斐萬里江 訳 創元推理文庫 刊

「全く、それがブレホン〔裁判官〕の論法ってもんですかね、尼僧殿? もし喉を引き裂かれた羊を発見して、その死骸のそばに口のまわりを血だらけにした狼がおったら、こりゃこの狼の仕業だと考えますわな。それが理屈じゃありませんかね?」
「理にかなった考え方ですね」と、彼女は同意した。「でも、それだけでは、狼の仕業だという確固たる証拠とはなりません」
 ダバーンは、承服しかねて、頭を振った。
「一体、何を探そうと……」
「私は、真実を探し出そうと努めているのです」フィデルマは、ぴしりと彼の言葉をさえぎった。「それが、私の唯一の目的です」

(上巻 P155~156より引用)


7世紀半ばのアイルランド。
小さいながらも豊かなアラグリンの谷を領地に持つ族長エベルが殺された。死体の傍には血塗れの刃物を持った若者モーエンがおり、氏族内に彼の犯行を疑う者は誰一人としていなかった。
しかし、族長の妻の要請でこの地に赴いた裁判官(ブレホン)である修道女フェデルマは、モーエンの身体的な障害を知り、彼を犯人と断定することを拒む。
フェデルマは同行したエイダルフ修道士と共に独自の調査を開始するのだが……。


修道女フェデルマシリーズの第一弾。
原書では五作目にあたるそうですが、邦訳の紹介としては一作目になります(ちょっとややこしい……)。
昨年読んだ『アイルランド幻想』(→感想)で紹介されていて、いつ翻訳されるかなーと楽しみにしていた作品だったので、日本語で読めて本当に嬉しいです!
そんなこんなで邦訳の刊行を非常に楽しみにしていたのですが、のっけから訳文について文句めいたことをひとつ書いてしまいます(すみません)。
『アイルランド幻想』の時も思ったのですが、ゲール語の単語を太字にするのは物語に没頭できなくてちょっと苦手なんです。訳注がたくさんあるのは気にならないのですけれど、この太字にだけはやっぱり馴染めないです。いえ、気にならない方も勿論おいででしょうし、わかりやすくて好きだと感じている方もいらっしゃると思います。でも個人的にこの表記方法は読んでいていちいちゲール語の単語にひっかかってしまってちとつらいです……(何様なのか)。
それから訳注についてどうしても我慢できないことがありました。シリーズの初紹介作品ってことで、訳者の方もだいぶ力を入れて詳細な訳注をつけて下さっていて、ひとつひとつがアイルランドやキリスト教に関してとても為になる知識的な読み物として面白かったのですが、下巻の注に未訳作品の内容(展開)に触れるような「余談」が入っていたのはいただけませんでした。作中のエピソードの補足的な説明になると云えばそうかもしれないのですが、この本で初めてシリーズと出会った読者にとってフェアじゃないのではないかと感じてしまいました。その辺の配慮を期待するのは贅沢なんでしょうかねぇ。個人的には未読の作品に関してはあまりたくさんの情報を仕入れたくないので、こういう風に書かれてしまうと楽しみがそがれてしまってがっかりしてしまいます。

内容に関しては殆ど文句なしに面白かったです。7世紀半ばのアイルランドの歴史的背景と主人公フィデルマたちが置かれている立場のせいか、説明的な記述がかなり多いのが気になると云えば気になるのですが、これはおそらく英米の読者にもあまり馴染みのない世界を舞台にしている為で仕方のないことなのかな。前半はややひっかかりを覚えながら読んでいましたけれど、後半になると慣れてきますし、この舞台の細部を楽しむ為に必要な部分なのでしょうね。
ミステリとしてもテンポが良くて、どこかしら疑わしい所を持つ登場人物たちと彼らの持つ秘密と思惑、土地にまつわる謎、山場となる他人との意思の疎通が不可能に思われる容疑者の青年との交流の方法、そして真犯人は?との様々な疑問を散りばめつつ、知的な要素やアクション要素もあって展開に飽きがこない為、どんどん読み進めてしまいます。
登場人物も勿論魅力的です。探偵役のフィデルマは王の妹という血筋の良さを持ち、頭脳明晰で有能な裁判官(弁護士)でもあります。ただ理が勝ちすぎる人物なので、ちょっと居丈高にも見えてしまってとっつきにくいんですね。
そんな彼女の助手の役割を務めるのがエイダルフ修道士なのですが、この人のポジションが良いんですよ!
作中では実際的な人物などと評されていますが、これは柔軟な思考を持って行動ができるということですし、サクソン人でありながらアイルランドの歴史や文化を吸収しようとする姿勢も好ましいです。
フィデルマのサポートにしても引くべきところは引きつつ、自分の意見を口にすべきところでは彼女をきちんとたしなめられるのですよ。時折おマヌケだったりもしますが(笑)、フィデルマとのコンビで見ると欠点というより読者にとっての和みポイントになるのではないかなぁ。エイダルフ修道士が間の抜けた発言をして、フィデルマに睨まれたりするシーンには思わず笑いがこぼれてしまいます。典型的クールビューティのフィデルマも彼と話している時は女性として魅力的な表情を覗かせてくれるのも素敵。
このふたりの関係の変化を見守るのもシリーズを読む楽しみのひとつに数えられるでしょうが、まずはふたりの出会いが描かれる一作目を読みたいです~。この巻では既にふたりの間には信頼感と友情(プラスほんのり恋愛感情?)が確立してしまっているので、ここに到るまでのそもそもの馴れ初めが非常に気になっておりますよ。
今回は名前だけしか登場しませんでしたが、フィデルマの兄コルグー王にも早くお会いしたいのでシリーズが順調に訳されることを期待しています。


時代ミステリ好きの方もですが、アイルランドやキリスト教文化(ローマ教会とケルト系キリスト教会の違いや異教の名残りとか)に興味のある方には楽しめるシリーズだと思いますので、どうぞお手にとってみて下さい。


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