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2007.03.31

百万のマルコ (柳広司)

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『百万のマルコ』
柳広司 著 創元推理文庫 刊


ピサの物語作者ルスティケロを始めとして、戦争で捕虜になり身柄の引き取り手もないまま過ごさざるを得ない囚人たちが退屈をもてあましているジェノヴァの牢に新入りがやってきた。 ぼろぼろの服を身に着けた奇妙な風体の男はマルコ・ポーロと名乗る。
東洋の様々な国を旅してきたというマルコは囚人たちに自分の体験した冒険の数々を語るのだが、彼の物語はいつも肝心の部分が語られずに終ってしまう。囚人たちは額を寄せ合ってその謎を解こうと試みるのだが……。


『東方見聞録』の様々なエピソードを盛り込んだ軽妙な謎解きの連作短篇集。 肩の凝らない楽しい作品でした。
収録作は以下の通り。

「百万のマルコ 」
「賭博に負けなし」
「色は匂へど」
「能弁な猿 」
「山の老人」
「半分の半分」
「掟」
「真を告げるものは」
「輝く月の王女」
「雲の南」
「ナヤンの乱 」
「一番遠くの景色 」
「騙りは牢を破る 」

マルコ・ポーロはどちらかと云えば重厚な幻想譚や奇譚の方と相性が良いような気がしていたのですけれど、こういった軽めのミステリとも相性が良いのですね。 語りと騙りの間を軽やかに飛び回るようなマルコの物語を囚人たちと一緒になってわくわくしながら聞いているような気持ちになれました。
まぁ、謎解きの方は表題作以外は当てられませんでしたけども(苦笑)。
連作短篇集なのでどの短篇が好きかなどと云うのは些か野暮かもしれませんが、一番好きなのは旅立ち前のマルコを描いた「一番遠くの景色」でした。

タイトルにもなっている<百万のマルコ>と云うのはマルコ・ポーロの仇名なのだそうです。
岩村忍氏の著作『マルコ・ポーロ ─東洋と西洋を結んだ最初の人─ 』(岩波新書)によると、『東方見聞録』の中で富を表す際に頻繁に使われている「百万 (Il Milione イル・ミリオーネ)」の云い廻しがその由来らしいのですが、イタリアではマルコの書自体を『Il Milione』と呼んでいたそうですし、MilioneはEmilioで、マルコの名のひとつであるとの説もあるのだとか。
深町眞理子さんの解説を読んで知りましたが、“un milione di frottle”にはイタリア語で「嘘八百」の意味があるそうです。使われているのが百万って単語なので日本語よりもスケールが大きい気がして楽しいですね~。
この作品中のマルコの語りも確信犯でさくさく嘘をついているのか凡人には想像し難い経験を語っているだけなのか判然としない曖昧さが物語に良い味わいを出しています。何やら嘘風味の方が強いように感じるのはマルコの人徳のせいでしょうか(笑)。
もっともっとマルコの(法螺?)話を聴いてみたいような気もします。でも結末が鮮やかにまとまっているので一冊で終わる方が美しいのかもしれません。
『東方見聞録』はルスティケロが書きとめた書だけが唯一のテキストではないらしいので、また別の記録者が出てくるってのも良いですなぁ。
以前から原典の『東方見聞録』には興味がありましたけれど、この作品を読んでますます興味が増してきたので、近いうちに読んでみたいと思っています(いつになるやら)。


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2007.03.21

黄金の灰 (柳広司)

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『黄金の灰』
柳広司 著 創元推理文庫 刊


1873年、5月。
大富豪で古代遺跡の発掘家でもあるハインリッヒ・シュリーマンは、オスマン・トルコの辺境ヒッサルリクの丘でトロイアの存在を証明する<プリアモスの黄金>を発見するが、秘密裡に発掘した筈の黄金の存在が何故か外部に漏れ、トルコ政府の監督官らから発掘小屋を包囲されたことを始めとして、シュリーマン夫妻の周りでは奇妙な出来事が起き始める。発掘小屋が火事になり、巧妙に隠した黄金はその騒ぎにまぎれて消失し、さらには崩落した発掘現場で逆さまになった無残な死体が発見される。
黄金の消失と殺人の関連を探ろうとするシュリーマンたちは、密室となっていた教会の小部屋で第二の殺人に出くわす。
関係者による様々な推理が繰り広げられる中、シュリーマン夫人ソフィアにも危機が迫り……。


シュリーマン夫人が語り手となり、シュリーマンが探偵役になるミステリなのかと読み始めは思っていましたが、構造としてはもうひとひねりあって、シュリーマンが出会った謎とシュリーマンの心中に秘められた謎の二重構造になっています。
「夢を掘り当てた人」として有名なシュリーマンの数奇な人生のエピソード(特に幼年期のもの)を巧みに使った作品で、彼が成功に到るまでの様々な逸話と振る舞いをこんな風に使うのか!と驚かされました。
シュリーマンが「イリアス」を朗読する場面の使い方もうまいですね。あのシーンが後であんな風に効いてくるとは予想していませんでした。
著名な人物を物語の中心に持ってくる面白さや彼らが生きた時代についての著者の知識の広さに加え、ミステリとしてもテンポが良く、犯人の動機の意外性もあり、デビュー作とは思えないほどの完成度があったと思います。一冊の本で色々な部分が楽しめてかなりお得感が味わえるかと。
時代物としても面白かったのですが、記録と記憶、史実と物語の巧妙な絡ませ方が印象的でした。 フィクションの模倣についての言及も興味深かったです。

当然だと思い込んでいた「事実」があっけなく覆されてしまう可能性を常に孕んでいること、磐石であると信じていたものが実はとても不安定なものの上に成り立っていることを知っておくのは価値のあることだと考えさせられる作品でした(ミステリの感想としてはお門違いかも……)。


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2007.03.19

きつねのはなし (森見登美彦)

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『きつねのはなし』
森見登美彦 著 新潮社 刊


京都にある芳蓮堂という古道具屋が話の中心になったり遠景になったりする4つの物語が収められています。
収録作は以下の4篇。

「きつねのはなし 」
「果実の中の竜 」
「魔 」
「水神」


古道具屋を狂言回しに骨董にまつわる不思議な出来事を綴っていく話なのかなと想像していましたが、見事に外れました。芳蓮堂と云う古道具屋が主な舞台となるのは表題作の「きつねのはなし」のみで、残りは名前が出てくるだけだったり、関係者が出てくるだけだったり。4作品のそれぞれの時代も明記されていないので、全部が同じ時代の話ではないようにも感じられます。
収録作の殆どが怪異譚であり、京都という土地を舞台にしているせいか、夜の闇の色が深いような印象を受けました(関東者の勝手な思い込みかもしれませんが……)。
夜の小道を迷いながら歩いていて、視界の端にふと何かがよぎるんですが、振り返っても何もいない。自分の気のせいなのかもしれないけれど、何かがそこに息づいているようで気味が悪くなって思わず小走りになってしまった時のような、得体が知れないものへの怖さが漂っていたと思います。
古道具屋の芳蓮堂にしても、作中に出てくる「ケモノ」にしてもその本質は明かされません。
表題作の「きつねのはなし」の女主人と最後に収録されている「水神」に出てくる女性は同一人物なのかそれとも別人なのか(特に根拠はありませんが、「水神」の「芳蓮堂さん」は「きつねのはなし」のナツメさんの母親だろうかと云う気もします)、「ケモノ」の正体は何なのか。その辺りが明確にされないことによって、薄気味悪さが後を引くようにも感じられ、ちょっと古風な雰囲気を残す怪談話として余韻があって良かったです。怪異の背景を全て明かさずに、読者の想像の余地を残しておく方が怖さが引き立つように思えるので、個人的にはこういった手法の怪談には心惹かれるのですが、うやむやなのが厭だったり謎を明らかにして欲しいと感じる向きには消化不良感があるかもしれません。
きっちりと怖かったのは「きつねのはなし」、薄気味悪かったのは「魔」、先輩の語る「体験談」が何とも云えない余韻を残して印象的だった「果実の中の龍」、祖父の通夜の席で起きる奇妙な出来事と曽祖父・祖父・伯父たち・父・語り手の僕、一族の記憶と水が深い関わりを持つ「水神」。
どの作品も少し古めかしいような(※褒め言葉)端正で静かな語り口で闇の色を引き立ていました(何となく内田百閒が書く怪異譚と同じような色彩をもっているような気が)。
かなり好みの雰囲気だったので、またこういった作品を書いて欲しいなぁと思います。


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2007.03.10

聖母の贈り物 (ウィリアム・トレヴァー)

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『聖母の贈り物』
ウィリアム・トレヴァー著 栩木 伸明 訳 国書刊行会 刊

 どこからともなく色彩が訪れた。やってきて、明るくなり、目もあやな色がまき散らされた。翼がはためく音がした。飛んできた後に翼を閉じるときのはためき。楽園に住む深紅の鳥たち。胸が黄色。そして緑。自然のアーチになった岩門が風景の奥へかすんでいく。かすかな茶色とピンクがしだいにうすれ、、複雑な網目模様の大理石を敷き詰めた床が浮かび上がってくる。射しこんでくる太陽の光は空に放たれた矢のようだ。
 聖母のドレスは濃淡の青が二色。レースのような円い頭光はほとんど見えない。今目の前にあらわれた聖母の顔には、ミホールの母の若かりし日の面影はなく、装飾写本に描かれたマリアに似たところもなかった。そこに見えたのは、人間の顔にも自然の事物にもかつて目にしたことのない美しさであった。岩間に咲く花にも、ヒースにも、浜に打ち上げられる貝殻にも見たことのない美。青白くやせた聖母の両手が、親愛の情をしめすかのように高く上げられた。

(同書 P359~360より引用)


アイルランド出身の作家(現在はイングランドのデヴォンに在住)の短篇集。
収録作は以下の十二篇。

「トリッジ」(Torrige )
「こわれた家庭 」(Broken Homes )
「イエスタデイの恋人たち」(Lovers of Their Time )
「ミス・エルヴィラ・トレムレット、享年十八歳」(The Raising of Elvira Tremlett )
「アイルランド便り」(The News from Ireland )
「エルサレムに死す」(Death of Jerusalem )
「マティルダのイングランド」(Matilda's England )
 1.テニスコート (The Tennis Court )
 2.サマーハウス (The Summer-house )
 3.客間 (The Drawing-room )
「丘を耕す独り身の男たち」 (The Hill Bachelors )
「聖母の贈り物 」 (The Virgin's Gift )
「雨上がり」 (After Rain )

収録作は日常のささやかな出来事を描くタイプの話が殆ど。人物の心理描写が綿密なのがこの著者の作品の特長なのでしょうか。短篇ながらも読み応えのある作品が多かったです。
三人の男たちが笑いものにしながらも愛着のあった過去に思わぬ形で再会して報復される「トリッジ」
兄の強い勧めで聖地への旅に出ることになった男が旅先で失ったものと兄弟の齟齬を絡めた「エルサレムに死す」
少女マティルダの人生に深い影を落とした戦争と土地への執着を、時代を追って三部作としてまとめた「マティルダのイングランド」
アイルランドの田園屋敷に勤める執事の視点と女家庭教師の日記の両方から1847年(有名なじゃがいも飢饉のあった年)から翌年に到るまでの出来事と、アイルランドのカソリックの小作人の側とイングランド出身のプロテスタント地主の側の相容れなさを綴った「アイルランド便り」
父の死で農場を継ぐことになった息子の姿を淡々と、そして最後には崇高に描く「丘を耕す独り身の男たち」
などが印象に残りましたが、聖母マリアの啓示を受けてアイルランドを放浪することとなった男ミホールとマリアの旅路を精神的に重ね合わせた「聖母の贈り物」が秀逸だったと思います。
十八歳の時にマリアからのお告げを受けて修道院に入ったミホールは、そこで暮らして十七年目に再び聖母から「孤独を求めなさい」と指図を受け、「なぜまたもや自分の人生が混乱をこうむらなければならないのかと思って困惑し」ながらも、岩だらけの孤島に庵を作りひとりで暮らすことになります。そんな暮らしにも慣れ、ようやく安らぎと満足を得られるようになったミホールはマリアの最後の訪ないを受けるのです。
混乱と苛立ちと憂鬱と迷いと怒りを抱えたままアイルランドを再び彷徨することになった五十九歳のミホールの姿は神秘体験を通じて悟る宗教者の姿とは程遠いのですが、それだけに迷いに満ちた人の世の悩み苦しみと共通することも多く、読み手の気持ちもミホールに寄り添いやすくなっています。彼が自分の人生を振り返りながら信仰心を甦らせ、「うまずたゆまず歩き続け」て辿りついた場所では思いがけない出来事が待っています。これは聖母からの贈り物を与えられた側にとっても、ミホールにとっても贈り物であったという重ね合わせがラストで静かな感動を呼び起こします。


時代や場所を越えて人間の本質を力強く描いた作品集です。地に足が着いたしっかりしたものが読みたい時に良いかも。


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2007.03.06

ガラスのなかの少女 (ジェフリー・フォード)

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『ガラスのなかの少女』
ジェフリー・フォード 著 田中一江 訳 ハヤカワミステリ文庫 刊


「わたしはだれについても先入観をもたない」シェルはいった。「こういう仕事をする人間には、先入観は禁物だ。ある人種を無造作にいいとか悪いとかレッテルを貼る人間は無知なだけだ。そんなふうに大ざっぱな一般論で人をくくるのは、無益なばかり危険でもある。わたしは個性だけを考慮する。よくいうように、神は細部にあるんだ。最終的に、だれかを魅了する幻を作りあげたければ、ひとりひとりの人間の、その人にしかない特徴を見きわめなければならない。他人をそういうふうに見るのは、けっして人を型にはめないということだ。これをおこたるのは、目隠しをするも同然だよ。わかるかね? 悪魔は細部にいるんだぞ」
(同書 P32~33より引用)


1932年、アメリカ。
メキシコからの不法移民の少年ディエゴは、大恐慌下の世間をよそに大金持ち相手のいんちき降霊会で稼いでいるトマス・シェルの助手を務めている。父親代わりであり師でもあるシェルと用心棒兼運転手のアントニーとの暮らしに満足していたディエゴの生活はある事件をきっかけに変化していく。
パークス邸で行われた降霊会の最中にシェルはガラス戸の中に突然幼い少女の姿が浮かび上がったのを目撃する。それは本物の幽霊なのか、あるいは情緒不安定気味だったシェルが見た幻覚なのか。不可思議な出来事に困惑するディエゴたちだったが、数日後の新聞記事でその少女が名士バーンズ氏の行方不明の娘シャーロットだったことを知る。
シャーロット探しをバーンズ氏に申し出たシェル一行は、やはりバーンズ氏に雇われた霊媒師リディア・ハッシュと協力して捜索にあたることになるが、彼女の導きでシャーロットの元に辿り着いたディエゴたちがそこで目にしたものとは……。


クリストファー・プリーストの『奇術師』のような作品を想像していたのですが(シェルが行うトリックの数々が『奇術師』の登場人物のルパート・エンジャを連想させたので。作品自体の雰囲気やキャラクター性などにはまったく共通点はありませんけれども)、幻想的な雰囲気よりも語り手で主人公のディエゴの擬似家族関係や恋愛など、エンタテインメント要素をふんだんに盛り込んだ謎解き成長小説と云ったところかと。
事件の裏にある陰謀に関しては正直あまり真新しさを感じませんでしたが(事件そのものには実際にあったエピソードも絡むそうですけれど)、そこに到るまでの語りが魅力的だったのでどんどん読み進めてしまいました。
物語の中では登場人物たちの様々なエピソードが語られ、そのひとつひとつが興味深いものなのです。ディエゴの生い立ち、天才的な技術を持ち「政治家と詩人と法王を足したよりもなおハッタリが効く男」のシェルが抱えているもの、アントニーが過去に見聞きした出来事の語り、この作品の中で一番幻想的な雰囲気を持ったイザベラの怪談話(オチの部分が効果的です)、モーガンとマーリンの双子の秘密など、どれも読み応えがあるのですが、そのせいで謎そのものを追うサスペンスとしては構成に些か冗長さが感じられてしまうのがちょっと勿体無い気がします(まぁ、個々のエピソードが面白いのはフォード作品に欠かせない特長でもありますけれど)。
しかし、十七歳の少年から自立した男性へと成長を遂げるディエゴの変化の過程を追った小説としては純粋に面白かったです。
彼の成長はおそらくシェルが研究している蝶と重ね合わせられているのでしょう。擬似家族のシェルとアントニーとディエゴの関係も事件によって変わっていくことになりますが、庇護される立場にあったディエゴの変化が瑞々しく描かれていて好感が持てます。
ラストシーンも印象的で、シェルのカードさばきのような鮮やかな印象を残してくれました。

フォードの作品は幻想に満ち溢れたものばかりなのかと勝手に思っていましたが、こんな風な作品も書くのですね。作中のシェルの言葉ではありませんけれども、「先入観は禁物」と云ったところでしょうか(笑)。
著者の多彩さに触れてみたい方はお手に取ってみて下さい。


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2007.03.03

キングとジョーカー (ピーター・ディキンスン)

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『キングとジョーカー』
ピーター・ディキンスン 著  斎藤 数衛 訳 扶桑社ミステリー 刊

「どっちだっていいじゃないか。この国には歴史がないの。何人の王が暗殺されたと思う? 一人よ! しかも委員会の手でね。つまり、この国の王様たちは、この国にとってなんの意味もない、ただ、のぞき眼鏡で見せるショーにすぎないということは明らかね。まじめな話、かわいいみそさざいちゃん、わたしのお義父さまの、あの言後道断なビクター王が若くして亡くなったとしてごらん──あやうくそうなるところだったんだけどね。わたしのお義母さまのメアリー女王がジョージ・ヨークと結婚したとしてごらん。彼は密かにとても好きだったんだよ──ただあまりに英国人だったもんだから、それを表に出せなかったの。いいかい、そうなったとすれば、おまえは今の家族とはまったく別の王室一家の中にいたはずよ。それでも、そのほかのことがほんのちょっぴりでも違っていたとお思いかい? へん!」
(同書 P144より引用)


現実とは異なる家系を辿った20世紀の英国王室。
王女ルイーズはある朝、父の国王と母の王妃、そして王妃の秘書ナニーの間にある秘密に突然気付いてしまう。その驚きも覚めやらぬ間に朝食の席ではとんでもない騒動が起きた。食卓にあがる筈のハムの代わりにがま蛙が皿の上に乗っていたのだ。
この事件を皮切りにいたずら者=ジョーカーの手で王室内で次々と事件が起こされる。ジョーカーの他愛もない悪戯は次第にエスカレートして行き、とうとう殺人事件までが起こってしまう。
自身も事件に巻き込まれたルイーズ王女は、謎を探るうちに王家の重大な秘密に直面することとなり……。


架空の英国王室(歴史改変英国王室となるんでしょうか。本来はエリザベス2世の治世であるところがビクター2世の治世となっています。エドワード7世の跡を継いだのが実際の史実では早世したクラレンス公という設定で、史実ではジョージ5世と結婚したメアリー・オブ・テックはもともとの婚約者であるクラレンス公と結婚することになり、その後の家系図も書き変えられています。文で説明するとたいへんややこしくなるので詳しくは本書に掲載されている系図を参照して下さい……)の中で起きる事件を主に王女ルイーズの視点から描いた作品。
王室という閉じられた空間でどのような生活が営まれているかという読者の野次馬根性を満足させながら、ちょっとしたいたずらが殺人にまで発展していく過程をも追う構成になっています。
王室とそれにまつわる人物関係については救いようのないどろどろした愛憎を想像していましたが、そのあたりは思っていたよりも淡白な印象でした。
ミステリとしてよりも、ルイーズの精神的な成長や変則的な家族小説の部分、王室に長年仕えている乳母ダーディが抱えている様々な秘密の方が読んでいて面白かったです。
ダーディは王室の殆どの子供を育ててきただけあって、彼女の人生は王室の内奥に深く関っているのですが、その彼女にも他人に隠していた秘密があり、彼女が回想していく過去の中から現在へ続く因果が少しずつ浮かび上がり、殺人事件との関連も明らかになって行きます。
少女から大人の女性へと変化していくルイーズの成長が表で物語を動かしていくのだとするなら、死に向かいつつあるダーディは過去を回想することで物語を裏から動かしていきます。王室の秘密に深い関わりを持つという共通点もありながら対照的な存在でもあるこのふたりは文字通り物語の鍵を握る人物たちです。
王室で起きた殺人事件は、そこが抱える特殊さ故に難しい事件になってしまいますが、事情がわかってみればあまり複雑なものではないので、ミステリとしては割合オーソドックスなものだと思います(原書の発表年代が1976年であることを考えれば当然かもしれませんが)。
器(舞台)は変わっているけれど、盛り付けられている料理(謎そのもの)は正統派といった感じのミステリかと。
ビクター2世が戦争中に疎開しなかったというエピソードはジョージ6世のものを踏襲しているのかな?などと、個人的には大筋よりも細部を味わうのが楽しい作品でした。


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