ガラスのなかの少女 (ジェフリー・フォード)
『ガラスのなかの少女』
ジェフリー・フォード 著 田中一江 訳 ハヤカワミステリ文庫 刊
「わたしはだれについても先入観をもたない」シェルはいった。「こういう仕事をする人間には、先入観は禁物だ。ある人種を無造作にいいとか悪いとかレッテルを貼る人間は無知なだけだ。そんなふうに大ざっぱな一般論で人をくくるのは、無益なばかり危険でもある。わたしは個性だけを考慮する。よくいうように、神は細部にあるんだ。最終的に、だれかを魅了する幻を作りあげたければ、ひとりひとりの人間の、その人にしかない特徴を見きわめなければならない。他人をそういうふうに見るのは、けっして人を型にはめないということだ。これをおこたるのは、目隠しをするも同然だよ。わかるかね? 悪魔は細部にいるんだぞ」
(同書 P32~33より引用)
1932年、アメリカ。
メキシコからの不法移民の少年ディエゴは、大恐慌下の世間をよそに大金持ち相手のいんちき降霊会で稼いでいるトマス・シェルの助手を務めている。父親代わりであり師でもあるシェルと用心棒兼運転手のアントニーとの暮らしに満足していたディエゴの生活はある事件をきっかけに変化していく。
パークス邸で行われた降霊会の最中にシェルはガラス戸の中に突然幼い少女の姿が浮かび上がったのを目撃する。それは本物の幽霊なのか、あるいは情緒不安定気味だったシェルが見た幻覚なのか。不可思議な出来事に困惑するディエゴたちだったが、数日後の新聞記事でその少女が名士バーンズ氏の行方不明の娘シャーロットだったことを知る。
シャーロット探しをバーンズ氏に申し出たシェル一行は、やはりバーンズ氏に雇われた霊媒師リディア・ハッシュと協力して捜索にあたることになるが、彼女の導きでシャーロットの元に辿り着いたディエゴたちがそこで目にしたものとは……。
クリストファー・プリーストの『奇術師』のような作品を想像していたのですが(シェルが行うトリックの数々が『奇術師』の登場人物のルパート・エンジャを連想させたので。作品自体の雰囲気やキャラクター性などにはまったく共通点はありませんけれども)、幻想的な雰囲気よりも語り手で主人公のディエゴの擬似家族関係や恋愛など、エンタテインメント要素をふんだんに盛り込んだ謎解き成長小説と云ったところかと。
事件の裏にある陰謀に関しては正直あまり真新しさを感じませんでしたが(事件そのものには実際にあったエピソードも絡むそうですけれど)、そこに到るまでの語りが魅力的だったのでどんどん読み進めてしまいました。
物語の中では登場人物たちの様々なエピソードが語られ、そのひとつひとつが興味深いものなのです。ディエゴの生い立ち、天才的な技術を持ち「政治家と詩人と法王を足したよりもなおハッタリが効く男」のシェルが抱えているもの、アントニーが過去に見聞きした出来事の語り、この作品の中で一番幻想的な雰囲気を持ったイザベラの怪談話(オチの部分が効果的です)、モーガンとマーリンの双子の秘密など、どれも読み応えがあるのですが、そのせいで謎そのものを追うサスペンスとしては構成に些か冗長さが感じられてしまうのがちょっと勿体無い気がします(まぁ、個々のエピソードが面白いのはフォード作品に欠かせない特長でもありますけれど)。
しかし、十七歳の少年から自立した男性へと成長を遂げるディエゴの変化の過程を追った小説としては純粋に面白かったです。
彼の成長はおそらくシェルが研究している蝶と重ね合わせられているのでしょう。擬似家族のシェルとアントニーとディエゴの関係も事件によって変わっていくことになりますが、庇護される立場にあったディエゴの変化が瑞々しく描かれていて好感が持てます。
ラストシーンも印象的で、シェルのカードさばきのような鮮やかな印象を残してくれました。
フォードの作品は幻想に満ち溢れたものばかりなのかと勝手に思っていましたが、こんな風な作品も書くのですね。作中のシェルの言葉ではありませんけれども、「先入観は禁物」と云ったところでしょうか(笑)。
著者の多彩さに触れてみたい方はお手に取ってみて下さい。



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