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2007.03.10

聖母の贈り物 (ウィリアム・トレヴァー)

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『聖母の贈り物』
ウィリアム・トレヴァー著 栩木 伸明 訳 国書刊行会 刊

 どこからともなく色彩が訪れた。やってきて、明るくなり、目もあやな色がまき散らされた。翼がはためく音がした。飛んできた後に翼を閉じるときのはためき。楽園に住む深紅の鳥たち。胸が黄色。そして緑。自然のアーチになった岩門が風景の奥へかすんでいく。かすかな茶色とピンクがしだいにうすれ、、複雑な網目模様の大理石を敷き詰めた床が浮かび上がってくる。射しこんでくる太陽の光は空に放たれた矢のようだ。
 聖母のドレスは濃淡の青が二色。レースのような円い頭光はほとんど見えない。今目の前にあらわれた聖母の顔には、ミホールの母の若かりし日の面影はなく、装飾写本に描かれたマリアに似たところもなかった。そこに見えたのは、人間の顔にも自然の事物にもかつて目にしたことのない美しさであった。岩間に咲く花にも、ヒースにも、浜に打ち上げられる貝殻にも見たことのない美。青白くやせた聖母の両手が、親愛の情をしめすかのように高く上げられた。

(同書 P359~360より引用)


アイルランド出身の作家(現在はイングランドのデヴォンに在住)の短篇集。
収録作は以下の十二篇。

「トリッジ」(Torrige )
「こわれた家庭 」(Broken Homes )
「イエスタデイの恋人たち」(Lovers of Their Time )
「ミス・エルヴィラ・トレムレット、享年十八歳」(The Raising of Elvira Tremlett )
「アイルランド便り」(The News from Ireland )
「エルサレムに死す」(Death of Jerusalem )
「マティルダのイングランド」(Matilda's England )
 1.テニスコート (The Tennis Court )
 2.サマーハウス (The Summer-house )
 3.客間 (The Drawing-room )
「丘を耕す独り身の男たち」 (The Hill Bachelors )
「聖母の贈り物 」 (The Virgin's Gift )
「雨上がり」 (After Rain )

収録作は日常のささやかな出来事を描くタイプの話が殆ど。人物の心理描写が綿密なのがこの著者の作品の特長なのでしょうか。短篇ながらも読み応えのある作品が多かったです。
三人の男たちが笑いものにしながらも愛着のあった過去に思わぬ形で再会して報復される「トリッジ」
兄の強い勧めで聖地への旅に出ることになった男が旅先で失ったものと兄弟の齟齬を絡めた「エルサレムに死す」
少女マティルダの人生に深い影を落とした戦争と土地への執着を、時代を追って三部作としてまとめた「マティルダのイングランド」
アイルランドの田園屋敷に勤める執事の視点と女家庭教師の日記の両方から1847年(有名なじゃがいも飢饉のあった年)から翌年に到るまでの出来事と、アイルランドのカソリックの小作人の側とイングランド出身のプロテスタント地主の側の相容れなさを綴った「アイルランド便り」
父の死で農場を継ぐことになった息子の姿を淡々と、そして最後には崇高に描く「丘を耕す独り身の男たち」
などが印象に残りましたが、聖母マリアの啓示を受けてアイルランドを放浪することとなった男ミホールとマリアの旅路を精神的に重ね合わせた「聖母の贈り物」が秀逸だったと思います。
十八歳の時にマリアからのお告げを受けて修道院に入ったミホールは、そこで暮らして十七年目に再び聖母から「孤独を求めなさい」と指図を受け、「なぜまたもや自分の人生が混乱をこうむらなければならないのかと思って困惑し」ながらも、岩だらけの孤島に庵を作りひとりで暮らすことになります。そんな暮らしにも慣れ、ようやく安らぎと満足を得られるようになったミホールはマリアの最後の訪ないを受けるのです。
混乱と苛立ちと憂鬱と迷いと怒りを抱えたままアイルランドを再び彷徨することになった五十九歳のミホールの姿は神秘体験を通じて悟る宗教者の姿とは程遠いのですが、それだけに迷いに満ちた人の世の悩み苦しみと共通することも多く、読み手の気持ちもミホールに寄り添いやすくなっています。彼が自分の人生を振り返りながら信仰心を甦らせ、「うまずたゆまず歩き続け」て辿りついた場所では思いがけない出来事が待っています。これは聖母からの贈り物を与えられた側にとっても、ミホールにとっても贈り物であったという重ね合わせがラストで静かな感動を呼び起こします。


時代や場所を越えて人間の本質を力強く描いた作品集です。地に足が着いたしっかりしたものが読みたい時に良いかも。


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