新編 燈火節 (片山廣子)
『新編 燈火節』
片山廣子 著 月曜社 刊
(中略)何か物のけはひに眼をあげて見ると、すぐそばに背の高い立派な人が立ってゐた。神であらうかと彼は思った。
「わが子よ、わたしを知らないのか?」とその人が言つたが、彼はその人に見おぼえがなかつた。その人がまた言つた。
「わが子よ、わたしを知らないのか?……お前の父ペンドラゴンだ。あそこにわたしの家がある。遠からずお前にわかれてあそこに行かねばならぬ。だから、わたしはお前の夢の中に來たのだ」さう言つてその人は北の空の無限の深みに夜ごとに現はれる北の星座を指さした。少年はその星を仰いでまた眼をかへして父を見たが、もうそこには誰もゐなかつた。彼は體(からだ)がふるへていつまでも北の星を見てゐるうちに、急に自分の身が輕(かる)くなり雲のやうにふわふわと空へのぼつて行つた。ゆめをみるやうな氣持ちで、空の無形の梯子をのぼりのぼり、やがて北の果の空の大熊星とよばれる星まで來た。そこにまぼろしの眼に見えたのは高貴な偉大な七つの姿が大きな卓の形の圓(まる)い深淵の上に腰掛けてゐるのだつた。その姿の一人一人が額に一つの星をいただいてゐた。地上の彼の家の窓から見なれたあの七つの星まで彼は來てしまつたのだ。そしてその諸王を支配する大王は彼自身であつた。驚いて見てゐるうちに彼の影が大きくおおきくなつて大洋の波のやうに響く聲(こえ)が言つた。「神に結ばれた友だち、大なるものが小さくなる時が來た」彼自身の聲がさう言つたのである。
少年王は夢の中に自分が流星のやうに堕ちてゆくのを感じた。やがて彼は雲となり霧となつてふるさとの山の上に沈んだと思つた。
(同書 P241~242 「北極星」より引用)
随筆家であり歌人であり翻訳家でもあった片山廣子の随筆集です。(フィオナ・マクラウドの『かなしき女王』 →感想を訳した松村みね子は彼女の筆名)。以前に同じ出版社から随筆と小説を収録した集成『燈火節―随筆+小説集』が出ていましたが、こちらは随筆のみを集めたもともとの単行本に近いもの。旧字旧かな表記なのに加えて、手に取りやすいお値段になったのも嬉しいことです。
柔らかに語られる戦前の思い出や、戦中戦後の決して豊かとは云えない暮らしを語る際に覗かせる筋の通った矜持。あくまでも静かな語りで生と死を見据えた鋭さにはどきりさせられ、困難な時代と人生を生き抜いてきたが故に持ち得た静謐さとその底にある激しさが仄見えるような良い意味での揺らぎをも感じました。
折り目の正しさと時折覗かせる可愛らしさやしなやかさが同居しているのも魅力的で、これは著者の人柄がそのまま反映されているのではないかと思います。
普通の随筆集としても大変に良質な本だとは思いますけれど、ファンタジー好きにはアイルランド文学やケルト伝説に関する言及が嬉しく、読んでいて楽しいものでありました。
個人的に一番印象に残っているのは少年スノーバアドが自身の未来を幻視するエピソードが綴られた「北極星」です。
アーサー王がその名を得るに至るまでの話でして、ここで描かれる天上の光景の冴え冴えとした美しさは何度読んでも素晴らしいの一言に尽きます。片山廣子(松村みね子)がもしもアーサー王伝説を訳していたらこんな風になったのだろうかと考えてしましました。テニスンの「国王牧歌」の一部訳が読めたのも収穫でした。全訳を読みたい気持ちになってしまって切ない気持ちにもなりましたけれど……。
ともあれ、地に足の着いた生活と異界を眺めるまなざしとが合わさって、掉尾を飾るに相応しい一篇になっています。結びの文章も素晴らしい!
「ゆめ」と「うつつ」が重なり合った香気溢れる文章を味わってみたい方には強くお薦めしたい一冊です。
旧字旧かなは文章のもともとの味わいを感じることができるので個人的には大好きなんですが、現代の読者にはとっつきにくいかもしれません。ただ、著者の綴ったひとことひとことを噛みしめるようにして読むのにはぴったりなのではないかと。
遠い時間の彼方から届いた冷たく熱く輝く星の光のような言葉たちを、就寝前の時間にでも少しずつゆるりと読んで戴きたいです。
収録作品は以下の通り。
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「燈火節」 或る國のこよみ 「燈火節の周辺」 黒猫 解説:梨木香歩 |
梨木香歩さんの解説は行き届いていてなおかつ思い入れが伝わってくる上品な文章なので、彼女のファンの方にもこの本を手に取って戴きたいです。
↓こちらもお薦め。未読の方は合わせて是非!
かなしき女王―ケルト幻想作品集 (ちくま文庫)



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