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2008.05.12

ポルトベーロの魔女 (パウロ・コエーリョ)

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『ポルトベーロの魔女』
パウロ・コエーリョ 著 武田千香 訳 角川書店 刊

ルーマニアで生まれレバノンとロンドンで育ったアテナは、長じるにつれて神秘性を己のものとし、ある事件から“ポルトベーロの魔女”と呼ばれることになり、毀誉褒貶の多い人生を送ることになります。
彼女に関わった人々の証言をまとめ上げ、アテナの人物像を読者の前に提示するといった構成の、フィクションの中にドキュメンタリー要素を持ち込んだ小説ですが、一冊を通読してもアテナという女性のすべてが理解できるわけではないところがこの作品の面白いところだと思います。
親であったり、元夫であったり、元上司であったり、師にあたる人物であったり、後継者となる人物であったり、語り手とアテナの関係はさまざまです。彼女と関係者たちが結んだ関わりの深さ浅さ、彼女へ対する感情の好悪など、さまざまな関係の中で語られる「事実」を通じてアテナの「真実」に近づこうという試みはミステリのようでした。
関係者それぞれが持つ事実はそれら自体の信憑性を疑わないとしても、事実の断片でしかないのですよね。多くの関わりをある角度から眺めた時に生じたものに過ぎず、その断片をいくつ集めたとしてもパズルのピースがおさまるべきところにぴたりとおさまるようには正確な実像が浮かび上がってくることはなく、情報を受け取る側の解釈によっても誤差が生じることもあるわけです。
膨大な事実を集めた精密な記録がどれほど真実に近いものであっても、決して真実そのものにはなれないことに似ているかもしれません。
それはアテナのように波瀾万丈な人生を送っているわけではない普通の人たちに対しても同じことが云えるのではないかと思います。ひとりの人間の生きてきた軌跡と云うのは、自分以外の他人(それがどんなに近しい存在であったとしても)との関係を考えると実はかなり複雑なものなのではないだろうかと考えてしました。

アテナは邪教を奉じる魔女であったのかそれとも母神を顕現させうる真の祭司であったのか。
混沌の中に紛れている真実を見つけ出すことこそが恐らく読者に委ねられた仕事なのでしょう。
正直なところ、自分が求める物語ではないなとは思いますが、示唆に富む言葉が多くてなかなか興味深かったです。ラストには戸惑いましたけども。

ところで、タイトルは「ポートベロー」ではなくて「ポルトベーロ」なんですね。
ロンドンの地名だったらポートベローの方が自然だと思うんですが、ポルトガル語っぽさを出してるのかな?


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