
『美しいハンナ姫』
マリア・ケンジョジーナ 著 足達和子 訳 岩波少年文庫 刊
ポーランドの民話をモティーフに著者がまとめた物語集です。
収録作は以下の通り。
「美しいハンナ姫 」
「盗人のクーバ」
「王女さまの手箱」
「ヴォイテックの冬作物」
「若かったわたし」
「クリーメックの息子」
「美しいハンナ姫」は、七つ山を越え、七つ川を越えたむこうに、世界でいちばん美しい姫がいると聞いたハヌシ王子が彼女を花嫁にしようとするのですが、そのハンナ王女は世界中のどんな王子も自分にはつりあわないと云い放つ高慢な姫君でした。そんな彼女と結婚するために賢い王子がめぐらせた計画とは……。
なんかどこかで読んだことのある展開だなと思っていたら、グリムの「つぐみのひげの王様」と同じ構造でした。
庭師の弟子ヤーシェックに身をやつしたハヌシ王子があの手この手で王女を落とすまで(最終的には姫から求婚するは、駆け落ちにはOKするはで姫の方がべた惚れになってます・笑)の経緯にはツッコミどころも多いんですけど、ヤーシェックに裏切られたと誤解したハンナ姫が「わたくしにはヤーシェックだけ、ほかの誰も望まなかった」(P39)と考える場面が彼女の誇り高さを表していて印象的でした。
「七つ山を越え、七つ川を越えたむこうに」ってな云いまわしがとても素敵でこちらも印象に残ってます。
もともとはこの言葉が本の原題だったそうです。さもありなん。
以前、岩波文庫のハンガリー民話集を読んだ時にもお話のはじまりが「あったことか、なかったことか」というものでこれも忘れられない云い回しでしたが、中欧あたりの民話にはこういった素敵なフレーズが多いのかな。
「盗人のクーバ」は、家族を養うためにパンを盗んでしまった男、クーバが思わぬ形で国の危機を救う話。
「王女さまの手箱」は、誕生祝いに悪魔から金銀財宝が詰まった手箱を贈られたヤドヴィガ姫が欲にかられるまま、求婚者の王子と共に悪魔のもとへと旅立つ話。
「ヴォイチェックの冬作物」は、怠け者で「ろくでなし」と呼ばれる男ヴォイチェックが魔女に馬の姿に変えられ、呪いを解くために働き者になり、意中の娘アニェルカと結婚するまでの話。
「若かったわたし」は、若かった頃に怠けていたつけを歳をとってから払わなければならなくなった後家のペプルーラが、愛犬クシティックの導きによって「昔の年の国」へ若かった頃の自分に会いにいく話。
「ヘイ、若かったわたしは ヘイ、どこへ行った?」
ではじまる歌の繰り返しがリズミカルで呪文めいていて素敵でした。
この話のはじまりの言葉「遠くでも近くでもないところに、美しい村がありました」も好きだなぁ。
以上の4作品は怠惰や強欲を戒めています。としてみると、ポーランドの人の美徳って勤勉と質素倹約につながるのかしらと考えてみたり。まぁ昔話では概ね怠け者や欲張りには罰が当たるものではありますが。
「クリーメックの息子」は、縁もゆかりも無い宿屋の息子が自分の職と家を継ぐとの神の予言を盗み聞いた司令官が悪魔の手を借りて神の意志に逆らおうとする話。
やることなすこと裏目に出てしまっているのに不屈の精神をもって事に当たる司令官の行いは方向性さえ間違ってなければ評価できると思います。
おそらく彼は自分の力だけで司令官の地位までのぼりつめて、そのことに自分でも自信と誇りを持っていたのではなかろうか。だからこそ、「神の意志」などというものに絶対負けたくなかったのではないかなぁとか本筋からはずれた非常にどうでも良いことを考えてみましたが、そもそもこの話の教訓は「神さまは良い行いには報いてくださる」(P297)ってことだから、神に逆らう傲慢さと残虐さを持つ司令官は罰せられて当然なのでしょうけどね。
この物語集は、第二次世界大戦後間もない1948年に刊行されたそうです。
戦争ですべてを失ったポーランドが、困難のさなかで民族の心の拠り所となるものを甦らせようとした熱い思いが込められている本だということを著者あとがきで知り、読み終わった後に静かな感動を覚えました。
大きな力に踏みにじられてすら消えゆくままにはさせまいとする、本の中に込められた人々の強い意志は後世へ繋げていくべきものなのでしょうね。
この小さな本が日本でもたくさんの人に読まれるといいなと思います。
Recent Comments